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もりげレビュー


  03年8月後半雑記 Date: 2003-08-16 (Sat) 

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雑記

8月16日
 持つべきものは友人だ。いろいろな意味でそう思った日。

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 涼しくなったと思ったら、すぐに膝に乗ってくる猫。可愛いから許すけど、さすがに重さで足が痺れるのが困る。だから、猫の体重が苦痛になってきたら、膝の上で丸まったそのままの格好で腕に抱え上げて、隣の部屋にいる家族の膝へ移動させる。うちの猫は強者なので、そんなことされても気にせずそのまま寝てしまう。要するに、あったかけりゃ誰の膝だろうが関係ないのだ、ヤツには。
 でも、なんだかんだ言って、膝に猫がいるというのは幸せである。

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 私の舞台衣装の話になったときに、「フラショナール・スーツにしとけば本番も絶対うまくいくだろう」とか言ううちの母親は、世間的にはどうなんだろうか(フラショナール・スーツってのは、ベイリーの『カエアンの聖衣』に出てくる最高級スーツ。スーツ自体が意志を持っており、着ると人格から何からすっかり変わってしまう)。

8月17日
 今日も雨でしたなー。練習と、ネットの文章を読むくらいしかしてないからだろう。精神的にけっこう切羽詰まっているな。変えないと。いろいろと。

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 こんな検索で……。もしかしてすごくすごく必死で悩んでネットに救いを求めたのだろうか。いいのに。悩まなくたって。胸の大きさで女性を評価するなんて、良くないことですから。

8月18日
 オフ会などもあって忙しかったろうに、無理矢理頼んでV氏に買ってきていただいたKey+Liaのサードシングル『Spica/Hanabi/Moon』を聴く。

 ぐあっ。こ、これは……。

『Birthday Song, Requiem』のときみたいに冷静なレビューなんてできそうもないほどのダメージを負いました。

 試聴ではクソっぽかった「Spica」も通しで聴くとこれがまたいいのです。メロディーの最初の7つの音――「眠りの時が」という歌詞――が聞こえてきたとき、もうそれだけでやられた、という気がした。まったく形は違うけれど、試聴で聴いてたサビ部分と明らかに関連を持った、それでいて密やかな、内に籠もった感情を垣間見せるだけのような音型。そして、頭から聴いていったときに初めて、サビの超ロングトーン(たぶん楽譜にして2小節ぶん伸ばしっぱなし)が空を見上げるような広々とした印象を与えてくれる。
 最後の「どこへ」という問いかけで途切れてしまう大サビまで聴き終えれば、結局は麻枝ワールドにどっぷり浸かっていた。永遠とか強さとか丘とか風車とかああもういい加減にしろよ! というような単語が頻出するのはさて置いて(というか完全に俺と嗜好が一致してるので全然オッケー)、この壮大なまでの喪失感。そして喪失してもなお信じ続けたいという意志。

 「Hanabi」は息が止まるかと思った。今回の3曲の中でも最高の出来。ジャケのイラストも、帯に引用されてた文句も、この曲から来ているようなので、麻枝氏自身ももしかしたら一番気に入っているのかもしれない。少年と少女ふたりの一夏の逃避行と、その悲しい終わりを描いた物語。タイトルからはまったく想像もつかない内容だった。「増えては困る猫ばかり拾ってた」――というわけで猫も出てくるし、『イリヤの空、UFOの夏』の「夏休みふたたび」あたりからの話を想起しました。あるいはそれにイメージを得て書いた曲だとしても不思議はないくらい。でもやっぱり、この歌詞の「僕」は連れ出す側ではなくて連れ出される側なのだ。彼の詞に出てくる「僕」が強さを知るのは、いつだって何かを失ってしまってから。そんなところに微苦笑しつつも萌える。
 麻枝氏が天才的だと思うのは、サビの音型なんかがちょっとずつ変わってたりするところ。2回目にサビが出てきたときの、抑えきれない思いがぶつけられた結果のような、ちょっと引き延ばされたメロディーが、胸が悪くなるくらいに強烈。

 「Moon」は彼にはちょっと珍しい3拍子の曲。こういう感じのヴィジョン、私も見ることあります。友情とか悲恋とか生とか死とか、そういうものがたぶんこの歌の世界には全部つまってるのだろうけど、普段の麻枝氏の「セカイ系」な(セカイ系、使っちゃった。あはは)視点ではなくて一歩引いてクロニクルのように描いてあるのがそれはそれで結構すてき。クラナドも、「ある町の物語」となってるし、こういう大きな視点で描かれた話になってるんだとしたら楽しみだなと思う。

 最後に入ってるSpicaのリミックスは、ま、こんなのもたまにはありなんじゃないでしょうか。こういう物語性に乏しいハウスは正直あまり好きではないのですが。

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 ――うわ、俺、語りすぎ。いいさ。どうせ麻枝信者ですから。長くなったので今日はこれだけ。

8月19日
 文章を書くというのは、結構じぶんの気持ちを操作することにも繋がっている気がする。一昨日のように、ひとこと吐き出しただけだいぶ気分が落ち着いたりするのだ。というわけで、これから院試が終わるまでの一ヶ月半くらいは毎日まいにち泥を吐いてはきれいな水を吸うための場所としてここを使おう、などと考えなくもないけれど、せっかく読んでくださっている方にとても申し訳ないのでそれはなしにしよう。
 とは言いつつ、今月いっぱいは故あって引きこもって過ごすことになるし、世界に目を向けることも少ないだろうから、要するにこの雑記のこの8月後半部分を記している存在は、なんも書くことがない、ぼーっとした状態でキーボードを叩いてるだけの猿みたいなものだとお思いください。


 あと、家族に言いたいのですが、ここは読まないでください、と。前にも言ったのに……。毎日のように読みに来てるのはどうかと思います、実際。ほんとう嫌ですから、こういうもんを親に読まれるのって。

8月20日
1つの試合にこだわっていてはだめだ。
うちなんか負けてばかりと思われているけど
30勝もしているんだよ!4回に1回は勝っているんだ。
たくさん試合をすることが勝利の秘訣さ!

 大ちゃんはそう言うけれど……うーむ、むーん。

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 ヒグラシの声は胸にしみる。あれって、夕暮れに合うように鳴き声を工夫してるのに違いない。たとえばミンミンゼミとヒグラシが、習性はそのままで声が逆だったらヘンだ、やっぱり。それは慣れとかの問題ではなくて、セミとしてはヒグラシの声はやっぱり特別に透明で音楽的で、きれいな夕映えにはたとえばアブラゼミやミンミンゼミの声よりもずっとしっくり馴染むのだ。これはもう、なにかの意志が働いているとしか思えないではないか。

8月21日
 今日も寝てばかりの猫と一緒に、長いんだか短いんだか良く分からない一日を過ごす。もうすこし。

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 ステルヴィアはドラマとしてはなんだかさっぱりだ。

 かくなる上は――宇宙ひもかと思ったら「コズミック・フラクチャー」であって「コズミック・ストリング」ではなかったというのは残念だったけど――SFとしてどうなるか一応期待しておこう。ヒュッター先生ときたらETIと内通してるようだし。

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 どういう道だろうが、進めば新しい場所が待っているのだ>Y氏、あと自分へ
 あんまり具合が悪いなら、こばげんがお薬に詳しいよ。

8月22日
 欧州とメッセ。こっちは夜中の零時、向こうは夕方17時。なんというか、インターネットというのは偉大だ。FF10を辞書と首っ引きでプレイ中だとか。海外向けのPS2ってのはあまり互換性ないらしいですね、日本国内のものと。

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 ちょっと笑った検索ワード。確かに死ぬからなぁ、あれは。

8月23日
 日頃にない興奮度合いのV氏。気持ちはよくわかるのですけど。

 わたしの場合……
・火星計画2すら途中でほうったまま
・というかDVDドライブないんですが

 どうしよう。こういう状態で買うのはアホとしか思えない。

 と、とにかく。火星超大接近中ということで、今日はそれなりに晴れた夜空にすかっと火星が見えたので、望遠鏡で観測など。うちの望遠鏡は結構しょぼくて、確か最高倍率105倍程度なんじゃなかったかしら。それでも、さすが大接近だけあってかつてない視直径である。極冠はどうにも確認できなかったが、微妙な濃淡などは見ることができてそれだけで感激でした。

 火星が大好きだー!

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 SFマガジン……読む暇がない、というか読もうという精神状態になれないのだが、深堀骨氏の文章だけは読んだ。もういやー。なんなのこのひとー。眉を八の字にしながら腹を抱える、というような感触の不思議な笑いがこみあげてきます。
 そういえば、Jコレの『アマチャ・ズルチャ』紹介文もふるってた。
現代文学から隔絶した孤高の筆が踊り叫ぶ奇跡の作品集
 むちゃくちゃ楽しみです、はい。

8月24日
 ヤバイ。豚の角煮ヤバイ。きのう深堀骨「夫と妻の小粋な会話」を読んだばかりのところへ豚の角煮を作ろうとした話なんてものを見せられるとなんだか笑いがこみ上げてきて仕方がない。たぶん、あなたは角煮の作り方を間違えていたのでしょう。「夫と妻の小粋な会話」を読んで正しい作り方を覚えたまえ。

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 あ、「トリコロ」買いました。おもろい。買って正解。

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 えびボクサー、いいな。終わるまでに観る暇があるかどうか。

8月25日
 最近になって『フィニイ128のひみつ』で検索していらっしゃる方が増えていたりする。わたしは結局まともに読み返していないし、bk1の著者コメントも読んだけれど何がなんだかサッパリわからないままだ。とりあえず、風野氏による「思わせぶりな箇所」抜き書きは、わたしが気になっていたところはすべて網羅されているようだし、気づいてもいなかった部分の指摘も入っているので、読み解こうとされる方にとって大変ありがたいまとめではないだろうか。
 しかし、これだけ明晰に読み込んでいる風野氏ですら理解不能だとおっしゃるのだから、要するに思わせぶりに書いてみただけ、という可能性が高そうな気がしてきた。

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 発泡酒はビールの代わりに充分なっていると思う。今日だってぼくは麒麟淡麗生を飲んだ。淡麗とか、まだ売ってるんだか良く知らないけどAsahiのSparksとか、けっこう好きである。へたなビールよりはうまい。

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 文章を書くことで精神をある程度コントロールできる、というのは確かだが、それ以上に、わたしは自らが発した言葉によって自らを規定しているような部分があると思う。だから、ここを使って自己啓発を試みてみようと思う。

 わたしは機会を捕まえるだけの物語性を自らの内に宿しているつもりだし、そういう物語として生きたいと切に願っている。
 伝えるべき大切なことはいつだってわたしの内にあり、それは他の誰の中にあるよりも正しく形をなしている、と信じよう。だから、技術云々の話を吹き飛ばせる次元で、いまだかつて見たことのない場所に連れていってみせようと思う。それはひとつの決意であり、ひとつの物語のクライマックスである。

8月26日
 2ちゃんでいま、フィニイ128のひみつが解き明かされつつある、のか?
 まだ予告のみだが、本当に腑に落ちる説明がなされるのだとしたらすごいことだと思う。

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 海外旅行中の知人が旅行記をネット上のフォトアルバムにして届けてくれた。人の旅行記でいやされてる俺ってなんなんだ……。

8月27日
 空を見ながら歩いて、エンマコオロギが鳴き始めていることに気づいた。あんな小さなはねから出てくるなんて信じられないような音色。秋の、音色。
 でも、セミだってまだまだ賑やかだ。
 水田の広がる中を抜けて、裏山に登った。その山には、まるでUFOでも着陸した跡みたいにそこだけ木々の生えない、直径30メートルくらいの原っぱがある。そのちょうど真ん中に立って、セミの声を聴いた。気が狂いそうな――というよりむしろすでに狂ってしまっているに違いない、強烈なリズム対位法をマーラーの八番ばりの大合奏で聴かせてくれるツクツクボウシと、それにまじったヒグラシの声を浴びて、夏が終わるならぼくはここから始めよう、と自分でも半ば意味不明なことばを呟いた。

・・・
 ああ、クライマックスというのはたぶん適切ではないだろう。なぜなら、そこから全てが始まるからだ。絶望を、懐かしい思い出とともに人々に届けて、2年前の夏を今こそ終わらせ、踏み出す。

8月28日
 というわけで敗北。


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 お、おいおい、結構本気で悔しいらしいぞ。ってゆうことは、昨日のあの文章って本気だったんだな、俺。だからこういう安手のドラマの主人公みたいなアホな思い詰め方はするなと言っていたのに。
 でも、相当演技も入ってると自分で知ってて、それでも思い詰めごっこはやめられない。それで前へ進めるのならば。
 ここで文句なんて言いませんし、結果は結果ですが、それでも今回はそれなりに手応えもあったし自信もつけた。だから確かに、ここから踏み出すのだ。

 そうは言ってもやっぱりけっこうキツイけどな、この結果は。

8月29日
 ステルヴィアを見る。
 堺氏の脚本はやっぱり懐かしき時代のコンタクトSFを意識しているようで、これってしーぽんの恋物語とうまくかみ合うのだろうか。ヒュッターがETIの手先って学長にばれてしまった(ばらしてしまった)ようだけど、しかしえらく冷静な学長だな……。

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 何をやっているのやら_| ̄|○
 とりあえず、次の本番2週間後の罠、それと院試の罠。
おっと! 罠にひっかかった!
という事態は避けたいです。
壁の中にいる!
ぎゃー。リセットボタンが間に合わない。

8月30日
 カネタタキが我が家の庭で鳴いています。金田タキ、という女性のことではありません。カネタタキがもし女性の名前だとすれば、我が家の庭で鳴いているというのは穏やかではありません。そもそも、人間が「鳴く」というのはかなり普通ではない表現だと思います。
 そう考えれば、おそらくは「泣く」を綴り間違えた結果「鳴く」になってしまったのだ、という可能性が浮かび上がってくるでしょう。

 金田タキが我が家の庭で泣くというのは、おそらくは二階の窓に映る私の影を見てのことにちがいありません。なぜなら、彼女は私に恋をしているからです。

 金田タキ、なんて名前ですが、彼女はうら若く美しい乙女です。そう、名前に似合わず――そもそも彼女が「タキ」などというちょっと古めかしい名前をつけられてしまったのには長いストーリーがあるのです。

 それは、ご両親がある約束を交わした小さな滝と、そこに古くから棲んでいた妖怪の物語。

 実はその妖怪というやつの正体は、時の輪に飲み込まれてしまった未来のロボット。そして、その制作には私とタキが深く関係していたのです。ロボットの制作者であったドクター松戸は、私たちふたりの逃避行の中で命の恩人となってくれた人物でした。あのロボットは、彼からの、私たちへの最後のプレゼントとなるはずだったもの。結局それは私たちの手に渡ることはなく、そのことを悔やみながら松戸さんが失意の内に亡くなったあとで、私たちはあの滝の妖怪の真実に気づき、もういない松戸さんに感謝のことばを呟くのでした。

 だけれど、いま私は金田タキの泣く声を無視してしまい、私が彼女の恋に応えることもなく、ドクター松戸は妖怪を作らず、タキの両親は約束をせず、タキは生まれなかったのでした。

 庭ではカネタタキが鳴いています。金田タキではありません。

・・・
 頭がぼーっとしているのです。すみませんでした。あしたから、がんばります。

8月31日
 小川一水『第六大陸 2』読了。本を閉じてから、しばらく目をつぶって椅子の背にもたれた。『楽園の泉』の読後感と非常に近いものがあるな。科学技術・社会・個人的心情。ここには、世界というものが完璧に描かれています。本当にすばらしいハードSFでした。
 何より、技術系のハードSFの持つひとつの大きなメリットは、この世界という現実を極限まで突き詰めることによって、そこに描かれる希望はただの夢でなく、世界の真実として顕現することになる、という点だと思います。人類は、よりよい未来に向かって進んでいくことができる、というその圧倒的な希望が。
 私は細かい技術に関する知識はまったくないので、その考証の正確さに舌をまくことも、あるいはあらさがしをして喜ぶことも満足にできないのですが、この月面建設計画の描写が非常に緻密なシミュレーションであることは充分に伝わってきます。

 さて、妙ちゃんの性格設定は、結局かなり「人間的」であったわけですが、その人間的な葛藤の部分が宇宙への強い牽引力として物語上機能していたかどうかは微妙な線。でも可愛かったから周りも乗せられたんでしょう、たぶん……ということで。妙ちゃん妙ちゃん妙ちゃん――


 この作品が大好きだからこそ、ちょっと不満点も。
 クライマックスの美しさは、『群青神殿』に負けている気がします。話の持っていき方が相当に強引。結局出てきてしまったああいう大仕掛けですが、今回はナシで良かったのではないかなぁと思ったりもしました。
 あと、2巻に押し込むためにかなり切りつめた印象があるのですが、気のせいでしょうか。もう少し語られるエピソードを多くしてくれたらさらに満足できただろうに。脇役もけっこう魅力的なだけに、それぞれの活躍をもっと見たかったように思える。それ言ってるときりがないですけどねー。

 とにかく、小川一水マンセー! 英訳して全世界に知らしめるべし! ハードSF界にこの人あり、と!


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