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もりげレビュー


  03年8月前半雑記 Date: 2003-08-01 (Fri) 

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雑記

8月1日
 大道芸人を見かけた。最近よくある「微動だにしない系」の芸人だったのだけど、自分の前に人形を置いてその姿勢を完全に真似ているのがちょっと目新しい。人形をつついて姿勢を変えると、それに合わせて本人も姿勢を変えるようだ。中学生の集団に目を付けられてあれこれと妙な姿勢を強要される彼はいじめに遭っているようにしか見えなかった。

 まだまだ空には雲がかかって、真夏の焦熱はやってきていない。だからこそ、真っ黒な衣装でああいう芸を続けられるわけで。
 梅雨明けのあとでも同じ芸をもしやっていたら、とても尊敬する。というより、それは「微動だにしない」こと自体より「炎天下で水分も取らずに立ちっぱなし」に対する瞠目だろうけれど。

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 紺野あきちか『フィニイ128のひみつ』とても楽しく読了した。が、あちこちにある仕掛けを解明しきれていないような気がする。そもそも解明しきれるように書かれているのかどうかもわからないけれど。おれ、頭悪いな……。とても悔しいので、感想は書かない。解説サイト希望。

 以下、頭の悪い読者のひとりごと。
 ……ううん、HaRUMねぇ。はるむ、はるむ。サラバ……? てら……? 左手の斑点……?

 もう一度読んだほうがいいのだろうか。

8月2日
 梅雨明け。明日の本番のための会場のピアノ調律に同行。昼は調律師の方に参鶏湯(さんげたん)をおごってもらった。はじめて食べたが、なかなかおいしいものである。朝鮮人参パワーで、夏を乗り切ろう。

 ……随分と個人の日記帳みたいな内容だな。

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 夏の夜はいい。涼しい風が舞い込む窓際。風が連れてくるのは遠くを走る救急車の音なのに、それすらもなんだか幸せに響く。……ような気がして、だけどやっぱりそれはちょっと不謹慎だよ。

8月3日
 おつかれさまでした、な一日。暑いので余計に。

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 ポジティヴな妄想はとっくに底をついて、ネガティヴな妄想はホワイトホールでも中心にあるんじゃないかというほど湧いてくる。別に良いさ。そんなことには慣れたから。ポジティヴにしろネガティヴにしろ、自分の妄想は大抵現実ばなれしているということを、いい加減ぼくの脳味噌は理解すべきである。
 あんまりいろいろな妄想を膨らませないほうが、現実に起こることの思いがけなさをおいしく味わえるように思えるんだけどな。でもやっぱりネガティヴ方向に裏切られるのは嫌なので、つまりはネガティヴな妄想ばかりするというのは正解なのだ!

 ……絶対、間違っている。

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 海外、いいですね。まじめな話、いいと思いますよ。

8月4日
 ギンメッキゴミグモは家の庭だけでなく近所の公園なんかにも大発生しているようで、異常なまでに美しいその円網が七夕の短冊みたいにうじゃうじゃと木の間で風に揺れている。たとえばそれはユダヤの陰謀やもしれないし、巨大地震の前触れやもしれないし、人類滅亡へのカウントダウンやもしれない。怖い。

 そんなふうな公園をゆっくりと歩けば、ドウダンツツジの花にオオスカシバの羽音。夢中で捕虫網をふるった昔を思い出す。蝉もようやっと鳴き出したというのに、ギンメッキゴミグモとは対照的に子どもの姿は一匹もなくて、おいおい、どうしているんだ、日本の若者よ。
 オオスカシバをオオスカシバと見抜ける少年は果たして今の世の中にいるのだろうか、などと考えてしまい、いない可能性も高いな、と結論づけてみるとそれはそれで切ない。でも、近所のオオスカシバはまだ絶滅に至っていないと知ったことは喜び。

 今時の子どもは、たとえば今日なんかエアコンのきいた室内で液晶画面と向き合っているのだろうか。冗談じゃないぜ、そんなことしてると汗腺の発達も妨げられるんだぜ。昔はもっと……。
 どうにも年寄りじみた思考だ、と自分でも思うけれど、後ろ向きはもう染みついた性質なので仕方ないなあ。

8月5日
 話が違う! ……仕事の契約は、ちゃんと文書で交わしましょうということでひとつお勉強になりました。

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 駅に浴衣姿の若い女性が群れていました。今日は花火大会があったんだね。ごめんなさい。大雨になったのはきっとぼくが雨乞いのダンスをしたせいですね。悪いことしました。

8月6日
 きのうの中止になった花火大会では、花火師が中州に取り残されてヘリコプターが出動するなど大変なことになっていたらしい。長野まで雨だったそうだし、どうやら私の雨乞いのダンスはやたらと良く効いたようだ。ああ、でもまずいのかな、逮捕されたりするのかな。

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 倉阪鬼一郎『学校の事件』読了。ほんとにしょうもないですね! もう大好き。『田舎の事件』の系譜である、どうしようもない田舎のどうしようもない低レベルな悲劇を冷徹(笑)に描く連作集。今回の舞台は「吹上」と名の付いた陸の孤島チックな田舎です。
 落ちこぼれ古文教師が、ちょっとした出来事の連続でトラウマを少しずつ刺激されるうちにいつしか取り返しのつかない世界に旅立ってゆく「ラジオ体操殺人事件」、革命家を自任する絶叫歌人が、わいは天才やジェイソンやこうなったらみんな殺したる、と自作の短歌を絶叫しながら恐怖の帰郷を果たす「吹上四十人殺し」、郷土史の研究を趣味とする平凡な歴史教師だった男が蔵書印の魔力に取り憑かれて発狂する「蔵書印の謎」などなど、もう苦笑するほかありません。
 ただ、後半に向かってどちらかと言うと事件のテンションが盛り下がってくるのが残念ではありますが……。

8月7日
 どうしていつもいつも、世の中はこうも悲しみに満ちているのだろうか。その不条理に怒りすら感じる。ただ、ぼくにできることがあるのなら力にして欲しいと思うのだ。
 だけど、たぶんぼくは本当の悲しみなんてまだ知らないのかもしれない。だからどうしていいのかわからなくなる。想像してみることはできるけど、でもそれはかなり実際に経験することとは違うだろう。
 物語の世界の外にも、悲しみというものが存在するということが、ぼくにはまだうまく理解できないのだ。

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 ステルヴィア、お待ちかねの金平糖を活用した脚本だ! ……今後もまだまだ金平糖は重要な小道具として生きてきそうですけどね。
 青春友情物路線、あー、こういうまっすぐなの弱いです。さすがに女の子4人がわあわあ泣くシーンはなんとなく背中がむずむずして居心地が悪くなりますけど。

8月8日
 ピアノの張弦、初体験。つまり弦を切ってしまった箇所を自分で張り直すわけですね。こういうのを覚えるためには一度体験してみるというのがとても大切で、以前ひととおり手順は習ってはいたのですが、やっぱり今回はじめてちゃんと頭に入った。
 調律師の学校でも、張弦の実習というのは3回くらいしかやらないそうで、そうするとサッパリ技術がないままで世に出てゆく人もいるらしい。実際、私のピアノも、以前の調律師が張り直してくれたところは結構無惨な状況だったりする。……というのは今の調律師さんに指摘されて注視してみて初めて気づいたことですが。
 とにもかくにも張り終えてみると、どうよ、なかなか綺麗に張れているではないか。以前の調律師の直した箇所よりずっと素晴らしい! コーチにもほめられて鼻高々です。

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 そういえばつい先日、中学生が心中しようとした事件があった。中学生のくせに彼女がいるなんて羨ましいな、ととりあえず思ったってことは置いといて、死ぬことでしかふたりの物語を完結させられないというのはかわいそう。
 一緒に死のう、と言ったらその気になってくれるような女の子とつき合っているのなら、ぼくだったらたぶん、ふたりで旅に出よう、と言ってみるんじゃないかな。実は女の子は軍のわるい人たちに狙われていて、その手を逃れるために一肌脱ぐんだ。そんな物語でいいや。死ぬくらいなら、ひとつ嘘を信じこんだふりをして物語を紡ごう。てくてく歩いてどっかで人の良さそうな婆ちゃんでも見つけてごはんを食べさせてもらう。またてくてく歩く。猫を見つけたりするだろうし、夜に線路を歩くなんてのはおつだね。しばらくしたらどうせ捜索願が出されて警察につかまって現実に引き戻されてしまうだろうけど、旅に出たというその物語が、たぶん現実さえも少しは変えてくれているはずだ。
 うーん、だから、現実を物語として捉えてしまうことは、そこに嘘がまじってたとしても結構すてきなことかもしれない。

 まあ、なんだ。私のこの夏はハッピーエンドな物語であるにちがいないと、とりあえず今は思っておきたいというだけなんだけど。

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 私信――是非いつかまた誘ってください。

8月9日
 台風がようやく通り過ぎて、西日が真横から街を照らす。東西に走る道が魔法のように光の通り道になっていて、真正面から夕日を浴びながら両脇の建物の壁が輝くのを見ていると、なんだかその道が未来へのゲイトウェイみたいに思えて、昔の人たちが環状列石をつくっては太陽祭祀を行っていた気持ちがわかるような気がするのだった。
 そして東の空には、すっくと虹が立った。

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 中学生がふたりで逃避行といえば秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏 その4』。水前寺が帰ってきたというのは嬉しいですね。こうしてまとめて読むと、自分の中で連載時よりちょっと評価があがった。だけど、やっぱり序盤の期待感に対してこういう形でのまとめ方はいささか物足りないような気がする。最初から「ボーイ・ミーツ・ガール」と言っていたのだから、これでいいのかもしれないけれど。晶穂に関しても、「無銭飲食列伝」をもっと生かすことはいくらでもできただろうと思うんだけどなぁ。
 ともかく、この作者は何より文章を書くのがうまい。

 あー、CDドラマのイリヤ役って広橋涼さんだったのか。知らなかったな、うかつだ。そういえばラジオの放送今夜じゃん――って最終回らしいし。うーむ……2時までねばってみるかな。

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 まんが祭り中の秋葉って、地方からの巡礼者が豊富で却ってにぎわうような気もする。

8月10日
 「占い式!漫画ナビ」はグループBだったのですが、読んでみるべきですか? 食指がさっぱり動かないんですが。というか診断結果自体がうーんという感じ。

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 タキシード買いに行ってきました。タキシードと言ったら「タキシード仮面」ということばがあるくらいで、特殊な衣装であります。そんな衣装を所有することができるというのはちょっとうれしはずかしといった感じであります。

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 イリヤ〜の感想補足しておくと、冒険が終わりを告げて夏休みが思い出になっていく情感は、確かによく出ていたと思うのですよ。結局は作者の作為がいろいろと見えてしまったのが興ざめだったんだろうなあ。強烈な思い込みで作品をものすタイプの方が、どちらかといえば私にとっては好みなのですね。秋山氏はちょっと物語世界に距離をおいて冷静に分析してる感じがどうしてもしてしまうのが、完全にマンセーできない理由かもしれない。

 ついでに、田中啓文『忘却の船に流れは光』、以前にも感想は書いたんですが、どうもうまく書けてないというか書き足りなかったので、こちらも補足。V林田さんなんか以前日記タイトルに使ったりしていたのにお買い求めいただけてないようですが、読了すると地団駄を踏みたくなるくらいビックリ仰天の作品ですよ、特に最後の数ページ。「すさのお」の正体が明らかになる辺りから、それはもう田中氏の底力が真に実感できるすばらしい展開。まさに圧巻! (はあ、これくらい言っておけば良いのだろうか。多くの人にこの感動の読書体験を是非ともしてほしいので)。
 以下はネタバレなので、読む予定のある方は決して反転させないでください。読み進めたことがほとんど徒労でしかなかったと気づく最後の種明かしでは、脱力して本を投げ捨てたくなりますね。いや、まあ宇宙船と見せかけてタイムマシンというのはなかなか良かったんですけどね、……何が駄洒落の余地もない、だコラ!

8月11日
 ブラームスの作品118の小品集。目下の課題ばかりやっていると煮詰まってくるのもあり、こいつをぽつぽつ練習している。
 ブラームスの後期の作品といったら、やれ「枯淡の境地」だの「静かな諦念」だの言われるものだが、私の個人的な印象ではそんなのトンデモない話である。そこには、青春そのままの渇望が、情熱が、拭いきれないまま残されている。
 このピアノ小曲集の中でも、たとえば最後の曲。出だしからして実に物寂しく、ブラームス晩年の枯れた味わいそのものだと感じる人もいるかもしれない。が、中間部で低音からスタッカートで立ち上がってくる音型! もうとっくに忘れてしまった、いや、忘れることに成功していたはずの痛いほどの情熱が抑えようもなく噴き出してくるようではないか。その思いを打ち消すように冒頭の悲しいメロディーが破滅的なまでの力強さで戻ってくると、あとは諦めへと回帰するばかり。感動、君も泣け!

 ついでに言っておくと、この小曲集は6曲がちゃんとひとつの流れとして組み立てられているので、通して聴くべきものだ。


 ブラームスの音楽には、あらかじめ失われてしまっているものに対する憧憬が常に内在している。それは恐らく、ブラームスのクララ(ロベルト・シューマンの妻)への思いなんかを考えると理解しやすいのだろう。

 あらかじめ失われてしまったもの……私たちにとっての「過去」というのはすべてこの部類だ。もう、いくらいっぱいに伸ばしたって、手は届かない。だからこそ、彼の音楽は心にしみるのだろう。

8月12日
 小学校の同窓会の案内が届いた。売らなきゃならんチケットもたくさんあるので行こう、などと打算的な思考をして、参加のメールを出す。
 小学校なんて良い思い出はまるきりないんだけど。どちらかと言えばいじめられてたクチだし。口だけは回ったもんであんまりひどいことにはならなかったけど。それに、切れると怖いという印象はあっただろうな。鉛筆で人の頭に穴をあけたこともあったし(もちろん骨までは届いてませんから安心……?)、図工室の窓ガラスをボールで粉々にしたこともあったな。今となっては自分でも想像つかない、そんな姿。


 同窓会か。

 エロゲーだと、クラスの綺麗所がみんな攻略対象だったりするものです。

 倉阪さんの小説だと、毒を盛ろうとして大失敗するヤツがいたり、板前の喧嘩のとばっちりで全員食中毒で運ばれたり、しょーもないことが起こるものです。

 現実は? ただ何となく話が合わなくて気が滅入って帰ってくるような気がしなくもない。

8月13日
 テレビでこういうインタビューをしてみてほしいな、とふと思った。

――あさっては何の日かご存じですか?

「えー、あさって? 今日なんにちだっけ?」
「13だから……あさってはえーと、13,14……15日?」
「8月15日ったら、……あー! あれじゃん。ほら、なんだっけ、」
「ゲンバク!」
「そうそう、ゲンバクじゃん?」
(女子高生2人連れ:渋谷にて)


「え? あさって? もちろん知ってますよ。初日です」
「知らないわけないじゃないですかー」
(男子高生2人連れ:秋葉原にて)

・・・
 セカイ系ということばを初めて知ったぼくは物知らずだ。セカイ系ということばで何かを揶揄したつもりになるのもどうかと思うのだけど。所詮、ぼくらが生きるというのは自分の意識の及ぶ範囲のことで悩んだり頑張ったり、それ全部が意味ないんだ、いやいや、意味はあるんだ、自分で作るんだ、なんてぐだぐだやりながらのたうち回ることじゃないか。
 ぼくが『イリヤの空、UFOの夏』に抱いた感覚は「セカイ系」というのとは関係ないかもしれない。浅羽と伊里野をふたりの世界に押し込めておきながら、作者の目線は外の世界も冷静に見つめているのだな。冷静に計算ずくでストーリーを読ませたいのだったら、もっとやりようもあっただろうと思う。そうじゃなくてこうした展開をするのだったら、ふたりだけの世界に意味があるんだ、と信じ込んで、いわば浅羽の分身として綴ってもらえれば、セカイ系だろうがなんだろうが満足できるのだけど。何かを信じることの痛々しさが、作者のどこか醒めた目のせいで伝わってこない。
 半分以上、ぼくの個人的な嗜好の問題だろうけど。

 ともかくセカイ系なんて当たり前のことじゃないか、と思う。好きな人を守るためなら、世界なんか滅びたっていい。当たり前じゃないか。どっかの国で爆弾テロがあって人がいっぱい死んだ日にだって、ぼくは好きな人のことを考えてた。それが人間の限界ってやつだ。

8月14日
 雨の横浜、起伏の激しい道を延々歩いた。本業の師匠の自宅にレッスンをしてもらいに。

「自分には自信があるんだ、って信じることで本当に力が出ることだってあるんだよね」
 ……前半、随分と重複表現な気もするけど、そんなことを言われる。確かにそうなのだ。なかば虚構であったとしても、信じることでそれが真実となるというのは良くある話。

 自信満々なくせに、なんだかやってることは情けないなぁ、という状況が一番こわい。ぼくはそんな風に思ってしまう性質で、自信を持つことによるパワーってのがなかなか出せなかったりするわけだけど。でも、本業に関しては、最近すこしは胸を張れるようになってきた。周りに認めてもらうというのはやっぱり大事だったりする。
 自信満々なだけのバカになる危険を冒してでも、自信を持ってみる努力というのは価値があるんだと思います。>ぼくの周りの謙虚な方々へ。

8月15日
 雨の降りしきる有明は蒸し器みたいになってたのだろうなぁ。

・・・
 今日はオフを決め込んで、録画したステルヴィアを見て「カラビ=ヤウ空間とか言ってるよ、おいおい」と笑ったり、オンラインの小説を読んだらしょーもないブンガクだったのでまた笑ったり、そんな一日。
『Spica/Hanabi/Moon』に折り込まれていたというクラナドの告知チラシがupされていたのを目にして想像以上に動揺。「2003年発売予定」とやっぱり書いてある、その文字を信じさせてください。それ以前にCD自体が早く聴きたいけど。


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