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もりげレビュー


  03年11月前半雑記 Date: 2003-11-01 (Sat) 

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雑記

11月1日
 デイヴィッド・ブリン『星海の楽園』読了。これでようやく〈知性化の嵐〉3部作――『変革への序章』『戦乱の大地』『星海の楽園』各上下巻、あわせて3319ページ、400字づめ換算で 5100枚――という分量を読み終えたわけですな……。

 休閑地として入植を禁じられている惑星、ジージョに、高度なテクノロジーなどすべて手放して不法居住する6種族の若者たちの冒険から話が始まり、次々に空からやってくる巨大宇宙船、惑星に隠されていた秘密、そして舞台は宇宙へと――というか、宇宙へと、どころじゃない途方もない展開。読み終えてから、この物語の始まりを思い返すと、どこまで遠いところに来たのかと感慨すら覚える。それはそれですごいんだけど、逆に3部作として話に一本筋が通ってるか、といったらちょっと弱い気もする。

 どうも、○○○○○○が(って、数日前の雑記で書いちゃってますが)出てきてから話がそちらに偏りすぎて、ジージョの若者たちの活躍がほとんどなくなってしまうのが残念。なかでも、ヒトの少女であるレティは翻訳物にはまったくもって珍しくも素晴らしい萌えキャラなのであって、彼女をもっと活躍させてわめかせて、最後には本当に大切な物がなんなのか気づかせて――

 っと、いかんいかん。ブリンはキャラクター小説を書いてるわけじゃないんだった。

 詰め込みすぎなくらい絢爛豪華なスペオペ。惜しむらくは、圧倒的に壮大な絵巻なのにもかかわらず、どうも世界の大きさがいまいち感じられないんだよなあ、このシリーズ。なぜなのかははっきり言えないけど。とはいえ、間違いなくすさまじい力作だし、一読の価値はあろう。読むのにやたらと時間がかかりますけど。浅瀬星団での発見の意味や「始祖」にまつわる謎はまだまだ解けませんが、いよいよこのシリーズも佳境といったところ。って、もうすでに前作までの流れなんてほとんど記憶の彼方だが……。

『SFの殿堂』に収録されていた短編は、これを読み終えてから再読するといろいろと面白いことがあるらしいが、手元にありません。どこいったんだ。

11月2日
 プロコフィエフ連続演奏会、というピアノコンサートシリーズの初回に行ってきた。つまらん演奏もありましたが、全体的にはなかなかおもしろかった。ショパンの連続演奏会のときほど客席が埋まってなかったのは、やはり作曲家の人気の差だろうか。

 伊藤恵氏の演奏中のこと。どこかのアホの携帯の着メロが鳴り響いた。いまどきのホールはふつう電波遮断が施されているものだが、芸大奏楽堂にはそんな予算ついてないらしかった。着メロはいわゆる「3和音」の貧弱なものだったが、プロコフィエフの作品中でも繊細で静謐を志向する「束の間の幻影」が演奏されている最中であったから、それはもうホールを支配する勢いで響き渡った。よりによってチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番、第一楽章。クラシックの着メロというのは、もとからしてどうにも間抜けなものだ。本物のクラシックの演奏会に闖入したその音は、普段にもましてうんこみたいだった。
 持ち主は音を止めることもせず席を立つと出口に向かう。急いではいたのだろうが、なにぶん随分と前方の席に座っていたものだから、扉に辿り着くまでにはかなりの時間を要した。彼が外に出て扉が閉ざされる瞬間まで、結局その着メロは鳴りやまなかった。たぶん、伊藤恵氏はチャイコフスキーのピアノ協奏曲が嫌いになっただろうな。

・・・
 藤田雅矢『星の綿毛』読了。砂漠をゆっくり移動しながら、あとに束の間の緑地を残してゆく耕作機械〈ハハ〉と、その機械の後ろの緑地「ムラ」で暮らす人々。そのイメージが素敵。SFの魅力は描かれた世界の魅力、と語る著者の面目躍如といったところ。しかし、本当に長編にすべき作品だったかどうか、というのは少し疑問を持ったのだけど。
 途中、少しびっくりするような秘密が明かされるあたりからは、北野勇作氏の作品みたいな展開になるのかと思ったのだが、もう少し地盤はしっかりしている印象。
 リリックな異世界を見てみたい人におすすめです。

11月3日
 母校の文化祭に。相変わらずの同級生たちと、他では味わえない安心感を得るひととき。

 しかし、……。いや、別にいいんですよ? 彼女連れて文化祭来てるやつがいようが、声かけると言われてた実習生仲間の飲みが連絡ないまま既に終わってたことがわかろうが、別にどってこたありませんよ?

 ほら、思い出だけ、抱いてゆこう。そうすればずっと笑顔で……


 ネタだってば! ぜんぶネタだってば! そんな目で、そんな目で俺を見るな! うわぁああ。

・・・
 というような一日だったのですが、それとは別に、ある事柄について立場をはっきりさせることができたので、たぶん良かったのでしょう。しかるべき現状認識というのは、その「現状」が望ましい物であるなしに関わらず、プラスに作用するものです。「現状」が悪ければ、打開するための努力を始めることができる。「現状」がもう既にどうしようもなければ、諦めて最後の祈りを口にするくらいはできる。いずれにしろ何も分からないままでいるよりは、遙かにましです。「理解」への渇望というのは、不安に抗するための闘争でもあるのでしょう。

11月4日
 髪を切った。

・・・
 昨日会った東浩紀ファンの女性に、話の流れで「サブカルってのはスカしてる、というふうにオタは思っている」というようなことを説明してみたのだが、「それってただのひがみなんじゃ?」と言われました。そう言う風にしか見えないことを承知の上で発言したほうが良いようですよ、Vさん

 私はといえば、小難しいこと言って悦に入っているような雰囲気は嫌い。なんで、往々にして哲学を引っぱり出していろいろと語りたがる所謂サブカルな人たちは肌に合いません。それだけ。

 何らかの作品そのものを「サブカルな作品」とか「オタクな作品」とか言い切ってしまうのは、どうかと思うのですが。ジャンル分けすること自体が恣意的になりすぎている気がします。「サブカル」とか「オタク」とかいうカテゴライズというのは、要するに、社会でどのように受け入れられたか、を表す記号なわけで。その記号に踊らされて、個人としての作品への受容態度が影響を受けるのは好ましくない気がするのですが。

11月5日
 べとべんの春のレッスンに。

・・・
 どうしよう、少年マガジンの新料理マンガおもしろすぎますよ! 汁さえ出せば万事オッケーだと思ってますか、作者の方? 笑い死にそうだ。毛細管現象って……しかもその説明、絶対ちがうから……。

11月6日
 ええと、一昨日のサブカルとオタがどうのというのはしょうもない妄言にすぎないので、スルーしてください……。

・・・
 山本弘『神は沈黙せず』読了。まず、一番に言いたい。これほど人に勧めたくなる小説はなかなかない。良い物を読んだ。作者の「と学会」の活動、世界に対する根本的な疑問、伝えたいメッセージ、すべてが見事に結実した作品。


 ――21世紀初頭、新たに発見されたふたつの謎が科学者たちを困惑させていた。ひとつは「パイオニア減速問題」――外宇宙へと旅立つはずだったパイオニア1号・2号の、太陽系の重力による減速率が、計算された数値よりも微妙に大きく、太陽系を飛び出せないと判明したこと。もうひとつは、「ウェッブの網目問題」――ハッブルよりもさらに高性能の宇宙望遠鏡によって撮影された恒星や銀河の写真に、原因不明の斑点のようなものが写りこんでしまうというもの。

 そこには何か秘密が隠されているのか? 遺伝的アルゴリズムを専門とするプログラマであった和久良輔は、それらに説明をつけることのできる仮説を思いついた。それは、「神」に関する仮説でもあった。

 一方、世界各地での超常現象の報告は急増していた。UFOやUMAの目撃や、「ファフロニツキー」とも呼ばれる、空から魚などが降ってくる現象、一部の地域からしか観測できないという人工衛星etc.etc。

 やがて、空に「神の顔」が顕現する日がやって来る。ついに人類の前に神が姿を現したのだ。直後、和久良輔は「サールの悪魔」という言葉を残して失踪し、彼の残した手がかりを追った妹の和久優歌は、この世界の真実をついに見いだすのだった。


 まずは上質のエンタテインメントだ。実に久しぶりに、やるべきもろもろの事に優先して読み進めたいと思えた物語。解き明かされる真実のアイディアは、(この手のものに良くある拍子抜けするようなものではないにしろ)斬新と言えるわけでもない。「ウェッブの網目」の説明などにびっくりさせられたが、バカバカしいと言えばバカバカしすぎるくらいだ。それでも、氏が「と学会」の活動を通して得たのであろう圧倒的な量の超常現象の事例などがうまく作中に生かされ、「もしかしたら世界には本当に何か秘密があるかも」とわくわくしながら読んでいくことができる。

 さらに、本書は良くできたエンタテインメントであるとともに、示唆に富んだ思弁的作品でもある。和久優歌が2033年に出版した本、という体裁で綴られていくのだが、実は和久兄妹は幼くして土砂災害で両親を失って、子どものうちから「神」への不信をつのらせているという設定。和久優歌が抱く問題意識というのは、まさに「神」を失おうとしている現代社会の我々の問題意識に通じるものだ。
 神が存在するなら、なぜこの世は不幸に満ちているのか? 神などいないのではないか? 神がいないなら、我々は何を信じて生きればよいのか? 生きる意味をどこに見いだせば?

 最終章で優歌は、「信じる」ことにする。その態度は「人間は信じたい物を信じるだけ、それが真実かどうかは関係ない」(作者はと学会の活動を通してそれを痛感したのだろう)という、作品中で何度も書かれる問題点を乗り越えてなどいないように見える。しかし、だ。私はそのメッセージに感動した。山本氏が、優歌の態度を正しいと信じているかどうかはわからないが、そんなことは関係ない。作中の言い方を借りれば、そのミームは、確かに私の中に授精したのだ。

 というわけで、長くなってしまったが、私がこの文を書いた目的はひとつ。このミームを広めることだ。だから、全力で薦める。より多くの人が、この作品を読んでくれますように。


 追記。全力で薦めてはみたが、人と話していて、本書の「神」へのアプローチの仕方には根本的な問題がひとつある、ということに思い至った。それについては13日の雑記中で触れた。作者が考えるほどには、宗教に対するひとつの回答としての力を持ち得ないかもしれない。

 ともかくそれはそれとしても、楽しめると思いますのでぜひ。

11月7日
 さすがに汁の助は大人気になってるな……。作者は「猫耳至上主義」なエロ志向の人だった、という噂を聞きました。そんなこったろうとは思ってましたが。

・・・
「あの吊革につかまってるゲーハー、死んでいいよな。生きてる価値ないよ」
 電車で揺られていると唐突にそんなことばが聞こえてきた。見れば、フクロウナギよりも頭の悪そうな顔をした男が、ハコフグみたいな女に向かってしゃべっているのだった。「禿」を「ゲーハー」とわざわざ言っているのは、業界用語みたいでカッコイイと思っているのだろうか? いずれにしろ、他人の生きる価値を勝手にゼロだと断定する態度は俺を著しく不快な気分にした。

 続いてフクロウナギは、なぜかスタンガンの話を始めた。

「スタンガンってあるじゃん。あれけっこヤバイんだぜー」
「へえ、そうなんだ」
「この前さ、友達が、あれ改造してさー。なんだっけ? もともとは20ボルト? くらいだっけ? のやつを3万ボルトとかにしてさー
「うん」
「でね、道でババアに使ったら倒れちゃったって。泡ふいて倒れちゃったらしーよ。死んだかどうかわからないらしーけどね。金だけ盗って逃げたっつってたけど」

 20ボルトのスタンガンって、どこで売ってるんだ? 駄菓子屋とかにあるのか? いや、それは置いておくとしても、もしかして俺は警察に通報した方がいいんじゃないのか? 犯罪の話を平気でしてやがる。
 ――「20ボルト」で俺は笑いそうになっていたが、犯罪行為についての話はそんな気分を吹き飛ばした。思えば、これはフクロウナギなりに最後のオチを輝かせるための工夫だったのかもしれない。
 フクロウナギは、自分がスタンガンについての知識を非常に豊富に持っていることを、ハコフグに対して誇って見せた。フクロウナギの知識自慢はさらに続く。

「改造しなくてもね、口ん中入れてバチッってやるとヤバイんだぜ。一発で死ぬんだぜ」
「ふうん」
 改造しなくても、ってことは、20ボルトを口の中でバチッとやると、このフクロウナギは死ぬんだろうか?

 彼はその知識が随分と自慢のようで、少ない語彙を駆使して幾通りもの表現で内容を繰り返してみせた。

「口突っ込んでバチッてやるとさ、もうそれだけで死んじゃうんだぜ」
「へえ」
まえGTOでやってたんだけどね

 とっさに俺は背を向けた。肩が震えているのには気づかれただろうか。

11月8日
 同窓会で会った女の子から電話。あしたの選挙の話でした。比例区は公明党に! ……宗教の人になっちゃってたのか。こういうのは初めてで、かなり衝撃。

「年金は絶対さげないと言ってるのが公明党で、掛け金も年収の10%以下で必ず抑えられるって約束してるのね。経済学者も公明党のやり方が一番いいと言ってるし云々」

 経済学者も、か。……人は信じたい物を信じるだけ、という『神は沈黙せず』の中のことばがはからずも頭に浮かんだ。
 電話を切るとき「頑張ってね」なんて言ってしまったことを後悔。よっぽど電話かけなおして「やっぱり頑張るな。こんなことしたって無駄だし、たぶん君はたくさんの友達を失ってるよ」とか言ってみようかと思った。でも、それって自己満足にすぎないだろう。だからやめた。友達を失おうがどうしようが、正しいと信じた道に邁進する彼女は、たぶん幸せなのだから。

・・・
 こんな検索で来て貰っても、ここで得る物は何もないと思いますよ?

11月9日
 義務だと念じて投票に。念じないと行く気も起きない選挙というのは困ったものだ。

・・・
 MIDI演奏のショパンをBGMにしないでください、お願いします……。>某アニメ

・・・
 エキサイト翻訳で"shit!!!"のビックリマークをひとつずつ増やしながら訳してみると……。ビックリマークを3つ、4つ、5つと増やすと毎回訳が変わります。

11月10日
 ああ、なんかぶち切れられてる……なんか幻滅されてる……_| ̄|○
 その直後の練習、指が動かない。こういうとき、人間の脳というのはつくづくおかしなものだと思う。小さな液晶の表示パターンを脳内で処理しただけで、これほどまでに身体能力が影響を受けるのだから。
 液晶の表示パターンに限らず、たとえば音波の微妙な形状の違いで、驚くほどその後の振る舞いが変わってくる。「うん」と「ううん」なんて、響きとしちゃほとんど変わらないですよ? これはなかなか還元主義的な考え方では説明しづらい事態なのではなかろうか。人間の行動の説明としては、波動方程式よりは「喜び」だの「悲しみ」だののわけのわからない物語の方が優れているように思えてならない。などと思う日もあるんですよ、唯物論ぽい私だって。


・・・
「ののしってください!」「このブタ野郎!」
 和月せんせい、やるじゃん。武装練金、おもしろいじゃん。

11月11日
 やたー。ミルテの花(の1曲目)のピアノ依頼きたー。良い曲だ。シューマンって、歌曲は許せるのです。ピアノ曲、中でも謝肉祭とか交響的練習曲みたいなでかい曲は弾く気が起こらないんだけど。

・・・
 今日は作曲科の友人の新曲の合わせに。こういうとき場を盛り上げられるキャラクターがうらやましい、というより尊敬する。打楽器のひとやチェロのひとのおかげで、笑いのあふれる合わせができました。

・・・
 松尾由美『安楽椅子探偵アーチー』読了。アーチーは、安楽椅子です。安楽椅子で、探偵です。文字通りの、安楽椅子探偵です。小学5年生の衛が、骨董屋で見つけて買ってきました。どこまでも懐かしい香りのするほのぼの探偵小説。シャーロック・ホームズをわくわくしながら読んでいた小学生時代を思い出すような。

11月12日
 ごくごく当たり前な、陳腐な、人間肯定的な、そういう結論で終わる物語に、「けっきょく最後はそれかよ、くだらねえ」とかいう文句をつける人もいる。そういう人はそりゃもっとムズカシイことをいろいろと考えているのかもしれない。でもさ、そういうありきたりな結論だって、いろいろ考えた末に、やっぱりここが一番、ってことでそこに着地してるわけ。それの何が悪いのかとききたい。逆に、じゃああんたは何を信じて生きてるわけ? 信じる物なんていらない? 嘘つけ。欲しくて欲しくてたまらないくせに、さ。
 どうせ思考停止するなら、心が温まるような場所まで戻ってきてから思考停止したいのですよ。

・・・
 脅迫状の文面がおもしろすぎる。高橋氏が出演している、NHK-FMの「きままにクラシック」という番組を聴いたりするだけに、本人が「私は大女優」とか「殺しますよ」とか綴ってるシーンを思い浮かべただけで笑えて仕方がない。
 世の中にはいろいろな人がいる。きっと最高にクールな仕返しの方法だと思ったんだろうなあ。

11月13日
 実は、この世における幸福なんてのは最終目標じゃないんだよ、というのが「神」を持ち出す最大の理由なのかもしれなくて。そうすると宗教というのは、「この世で不幸であっても、神を敬い、正しく生きていれば死後の世界において救われる」という物語になる。『神は沈黙せず』は、幸せはこの世にしかない、という前提のもとで書かれたものであるから、そういった物語に対しては破壊力を持たない。もちろん死後の世界の話題には作品中でも触れているけど、あっさりと否定してしまっただけで、あれでは死んだ後のために神を敬っている人には到底納得いかないだろうと思う。
 ぼくは生きてるうちにしあわせくらい味わっておきたいと思ってるし、死んだら自分の精神なんてものは完璧な無に還ると思っているけどね。

11月14日
 新曲初演に参加してきた。指揮が見えなくて、ずれまくりだった。曲は良かったし、他の人は見事なものだったけど、ぼくはひとりで舞台の価値を下げてるばかりで、なんの役にも立ってなかったようなものだ。ほんとはそこまで思ってないけど。

 そんななのに、作曲者には焼き肉を奢って貰ったりしてこれは正当とは思えない報酬なのだった。焼き肉食べながらも、先日からのもろもろに加え今日さらにショックが加わって、頭があんまりまともに働かない。ちょっと片言っぽい日本語を話す、たぶん中国人の焼き肉屋女性店員が可愛かったので、礼儀として妄想を膨らませてみることにした。
 きっと日本には友達なんかあんまりいないのに違いない。バイトを終え、ひとり安宿に帰って溜息をつくような日々。だから、俺は――「大丈夫、俺が守ってやる」「ああ、わたし、日本きてよかったアルよ」はにかんだ微笑みを浮かべる彼女。……自分の脳が腐ってるとしか思えなくなった。だいたい、冗談で妄想してみただけのはずなのに、最後のはにかんだ微笑みがくっきり脳裏に浮かんでるあたり、キモイ。いや、妄想してみる段階でキモイのか。

 そんなことをぐるぐる考えてるような精神状態だったから、駅前のビルに掲げられたデジタル時計を見た瞬間、本気で向こうの世界へ行きかけた。考えれば簡単なことで、分数表示部分の10の位の、左上の縦棒が消えなくなってただけなのだ。で、「25分」の「2」が、見たこともない図形になっていた。
 だけど、その一瞬は本当に危なくて、ぼくの頭はこの世界を理解するための何か新しい秩序を構築しかけていた。発狂するときって、案外こんな小さなことが原因になっていたりするのかもしれないと思う。

・・・
 ま、そんなことは日記のネタにとどめておいて、とりあえず頑張らなければ。限界まで頑張ってみたら何か変わるだろうか。いや、変えなければ。

11月15日
 ベートーヴェンのop.111のレッスン。「立派です」――いい感じになってきた!

・・・
 弾きたかった、と言ってみるテスト

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