■ 03年12月後半雑記 | Date: 2003-12-17 (Wed) |
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雑記
12月16日
日が落ちてから外を歩いていたら、凍えそうになった。こんなにも吹く風は凛として切っ先を突きつけてくるのに、その清冽な感触とは裏腹、東京の空は薄汚れている。実際に空気が濁っているのか、それよりは明るすぎるせいか、ともかく、星が見えない。
星が見えないという状況は、精神的閉塞感に多大な貢献をしているようだ。先日までいた田舎で、何年ぶりかわからないほどの星座たちを見てそう思った。実際に見えるか見えないか、というだけで世界の広さを錯覚してしまうのは、生まれたての子どもと何も変わらないようで情けないけれど。
いや、そもそも世界が広かったからどうだと言うのか、行けるわけでもないのに。と頭では思うが、そのあたりは脳の古い皮質に刻まれているようだ。
12月17日
第弐斎藤さんのところで紹介されていたJavaScript:document.body.innerHTMLのガイドラインが楽しい。こんな遊びがあったのか。ついレジストリいじって右クリック登録までやってしまいました。
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なんですか、血液の電流を増幅して放電って。なんですか、銃弾が体内にあったからショートって。面白すぎですよ。この調子で毎週やってくれるなら単行本買わないでもないぞ、週刊少年サンデーの新連載、『怪奇千万!十五郎』、怪奇千万なのは作者の頭だ!
てか、最近の少年漫画誌って、大丈夫なの?
12月18日
浅暮三文『10センチの空』読了。リリックな青春小説な中にも、この作者ならではの「五感に訴える」とでも言うのか、雰囲気のある描写が陰影を醸し出す。浅暮氏の物語って、いつもちょっとだけ論理のずれた世界という印象がある。ストレートで簡潔なこんな本にも、その浅暮印はやっぱり入っております。
しかし、空を飛ぶ話でメランコリックな作品というと涼元悠一氏も書いていたなあ(「涼元悠一WebPage FarSide」で読めます。「最後の日」と、あと「ナプリコリ号の冒険」にも出てくる)。空を飛ぶ、というモチーフと、どこかメランコリックな味わい、というのは結びつきやすいんでしょうか。やはり子どものころの夢想とつながってるからですかね。
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牧野修『乙女軍曹ピュセル・アン・フラジャーイル』も読了。ご本人は「お子さまにも安心して提供できる一品」とかおっしゃってますけど、読冊日記の16日分で風野氏が触れてらっしゃる通り、かなり悪意に満ちていると思う。付け加えると、これはSFマガジンの2002年6月号に載った「電獄仏法本線毒特急じぐり326号の殺人」、2003年4月号に載った「リヴィジョン・ウォーズ エピソードIV 落丁生命体の秘密」と同じ《絶対時刻表シリーズ》に属するものですので、そちらを併せて読んでおくと、記述式無限選択航法の歴史にも強くなれますし、このシリーズの実体が毒に満ちたパロディを目的としたものであることもはっきりと納得されることでしょう。げらげら笑いながら読むのが、たぶん正解。
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木曜ドラマ「TRICK」最終回。最後の最後で、上田は男を見せました。奈緒子の負け。良い最終回だったかと。
しかし……ここまでやっちまったってことは、これはもう続編作る気はないってことですかね。
12月19日
QRIO、走るの遅い。遅いんだけど、人型ロボットの洗練されていく様にはわくわくさせられて仕方がない。動画もあるんで未見ならどうぞ。
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ちょっと思いついて、参考書のコーナーに行ってみたら、平然と山積みにしてあった。もえたん。実物を目にするのは実は初めての俺はとりあえず店員のおばちゃんに「あっちいけ」の念が届いたのを確認してから、さりげなく手に取ってみた。関係ないけど、なんで最近の書店員ははたきを持ってないんだろうな。
ページをぱらぱらめくりながら、俺はすっかりもう何やらマジックリアリズムな世界に突入していた。俺の中の世界認識がガラリガラガラと崩れていくのを感じていた。
いや、だってね、ここは学習参考書のマジメな棚なわけ。英単語学習用の棚なわけ。そこにエロいコスチュームの魔法少女が恋のために頑張るお話が紛れ込んでるとはどういう了見なんですか。しかも例文が全部ヲタク仕様ですよ。誰だ、こんな奇怪な企画にゴーサインを出したのは! 誰だ、日本をこんな変態な世界にしたのは! うわ、やっぱり変身シーンは一瞬裸が見えるのかそうだよなあそうでなくちゃ!
「くすくすくす。えー、マジ?」
背後から聞こえたその声は女子中学生のもので、なにやら逃げるように俺から遠ざかっていく二人組。「彼の妹は増える一方だった」と「彼の友達は減る一方だった」のふたつの例文が並んでいるのを見て笑っていた俺は、笑った顔のまま心ごと凍り付いた。あらぬ懸念が鎌首をもたげる。
マテ。待て待て。今のは俺をあざ笑っていたのか?
ねえねえねえ、あのダサイ男さあ、参考書選んでるのかと思ったらもえたん読んでひとりでニヤニヤしてんの。キモイね! えー、マジ? くすくすくす。そうよねえ、参考書選ぶにしては年食い過ぎよねー。やだー、でもいかにも5浪くらいしてそうに見えない? くすくすくす。えー、マジキモくない?
そういうことなのか!?
いや、こういうのは大抵被害妄想と決まってるそうに決まってる、清らなハートの女子中学生は、まさにこのもえたんのいんくたんのように一途で可愛いので、俺のような繊細な心根の持ち主を笑い物にするなんてことするわけないんでした!
それに――俺はバッチリ反論を思いついて安心した。
女子中学生がもえたんなんてものを知ってるわけないじゃないか。この参考書はまさに参考書界の奇形だ、フリークだ。コスモスのように純情可憐な少女たちが、そんな異形の怪物の知識を持っているわけないじゃないか。
もえたん知ってる女子中学生なんていったらそれは腐女子街道まっしぐら、若いみそらで可哀想。そうだ、可哀想だ。俺をあざ笑ったつもりだろうが、笑われるのはお前らだ! はっはっは、俺は君たちのことを憐れむだろう。そして君たちは俺を憐れむ資格など全然これっぽっちも持ち合わせていないのだ。それに気づいたなら、子犬のように震えたまえ。
近所の書店にて、一瞬の被害妄想。
12月20日
……たとえばの話ですけど、自分の兄がアドベンチャーゲームの背景やってて、弟である自分の部屋を主人公の部屋のモデルにしてCGにしちゃったとしましょう。たとえばの話ですけど。
そうしたら、そのゲームをやる私はどういう気分がするんでしょうか。あまりになじみ深い景色が、全然この世とは違う場所の中にぽんと放り込まれているという違和感に、ゲームに入り込めずに終わるんでしょうか。それとも、その馴染みの景色があるからこそゲームに対して親近感がわくんでしょうか。
あるいは、背景屋は兄ではなくて、兄の友人(あんまりしゃべったこともない)だったとしましょう。そうしたら、そのゲームの主人公の部屋が自分の部屋とうり二つであることに気づいた私が感じるのは嬉しい驚きなのでしょうか。それともそれは性質の悪い冗談みたいにしか思えないんでしょうか。そして、私がそのゲームをたいへん心待ちにしていたとしたら? たとえばの話、なんですけどね、全部。
12月21日
むかし『トゥルーマン・ショー』とかいう映画をみた覚えがあって、今更ネタバレもなにもないだろうから書くけれど、ひとりの人間の人生を隠しカメラで完全生中継するという壮大なテレビ番組の話だった。
隠しカメラで生中継されるのがぼくだったら、たぶん視聴率はさっぱりでプロジェクトは大赤字になるだろうな、と思った。
それともキモイキモイといいながら喜んで見る人もいるのかしらん。
とまあ、そのくらいしか書くことのない一日でありますよ。風邪気味っぽいし。
12月22日
髪を刈った。ぼくは大抵、ひげ剃りどころか、洗髪すらしてくれないアメリカ式だとかいう安いところで刈っている。そんなところにいるのは、中年の男性ばかりだ。みんな一様にくたびれたスーツを着て、くたびれた鞄を持って、くたびれた顔をしている。
たまに、何を間違えたのか、中年の女性がひとりだけ混じっているような光景を見る。安さに惹かれて迷い込んだのだろうが、本人も「何か間違えたらしい」ということには自覚的であるらしく、それは彼女の顔を見ればありありなのだ。それでも店に入って順番待ちに並んでしまった以上、引き下がるわけにはいかないのだろう、最後まで「失敗した」という顔のままで去っていく。
オサレを考えるのなら、こんなところに来るべきじゃないんだろうと思う。しかし、ぼくは髪なんてものは邪魔にならなくて不潔じゃなければいいので、安さには代え難いものがある。だから、中年男性ばかりの中に迷い込んでも、失敗顔の中年女性みたいなことはしない。ファッションなんてものより大事な物を求めてるのさ、というような演技をしながら、堂々と切って貰うのだ。
「あら、若いのにこんなところに来るなんて。オタクかしら」というような顔の美容師さんの前で、内心はどこかコンプレックスに満ちているのだけど。いや、ほんとにオタクですよ、どーせ。
でも、どうなのだろう。美容師としては、もっと高級な店で働きたいものなのだろうか。それとも、こんなタイプの店であっても、仕事には誇りを持ってやっている人ばかりなのだろうか。
12月23日
おいしいおいしい手製のイタ飯フルコース、といった感じの、ホームパーティーに呼ばれて行ってきた。クリスマスパーティー、かな。イタ飯の後にはなぜか抹茶までたててもらったりで、すごいおもてなし。美味しいものを食べるというのは、幸せのひとつの形なのです。
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山田正紀『サイコトパス』読了。「援交探偵」シリーズで人気の「女子高生作家」――実は36歳の女性――が、拘置所に収監中の男から依頼されたのは、「バラバラ死体にされた私の身体を探して欲しい」という意味不明なものだった。その謎を追う中で、主人公の体験と小説と記憶とが渾然一体となり、世界が壊れていく……。
『マルホランド・ドライブ』的作品だ、とのことなんですが、そういう意味でのグラグラ感はいまいちだったかなと。ミステリ部分での謎解きに引っかかる点が多くて、なんとなく乗れませんでした。ミステリ読み慣れてないせいなんでしょうか?
どうしようもなく意味性の消失した対象を、あくまで大切に物語ろうとする行為の底知れぬやりきれなさ(と、それを知りながら実行するしかないものとして人間を描くこと)に、作者の小説家としての信念を見る気がしました。
12月24日
日付の上では25日になりました。
祝・御降誕! って私はキリスト者じゃないんですけど、クリスマスカードなどいただいたので、そういう気分。
何らかの宗教を信じている人は、そうでない人に比べて健康で長生きできる、という統計が出ているらしい。そう耳にしたことがある。そうであるなら、私は早速どこかに入信した方が良いのだ。親しい人の中にはクリスチャンが多いので(西洋伝統音楽なんかやってりゃ当然である)、やはりキリスト教か。信じてもないものを信じてる振りをするのは、それとも罪にあたるのだろうか。
実際に魅力を感じる宗教があるとすれば、それは仏教――それもシッダールタが説いたもともとの姿の――であるのだけれど、世界一のベストセラーである聖書にもそれなりの魅力がないわけでもない。
良心の拠り所や、死への不安と向き合うための手段として宗教的なものを利用することは、決して悪いことではないのではないか、と最近は思う。ただ、それらにしても、全て人が作りだした虚構の物語に過ぎない、ということは常に念頭に置いておかねばならない。
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2ちゃんで余計な固有名詞まで出して馴れ合ってるアホどもがいるな……。同じ学校を出た者として恥ずかしい限り。
12月25日
タップダンスを見に行って参りました。人間わざじゃないと思えるほど凄かった。90分踊って、何キロくらいやせるのだろう。
しかし、前の席のガキがさも退屈そうに椅子の上で激しく身動きしたり母親に話しかけたりしてるのを見て殴りたくなりました。そいつときたら、一度も拍手すらしなかった。自分が良いと思うものに理解を示さない若輩者に腹が立つというのは、了見が狭すぎるんでしょうか。
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今月のSFマガジン
読者賞、海外はグレッグ・イーガン「決断者」、国内は小川一水「老ヴォールの惑星」。個人的にはどちらも作者の力量が最大限に発揮されたものとは思えなかったものの、それを考え併せても納得の結果。両作家とも大好きなので嬉しい。
飛浩隆「ラギッド・ガール Unweaving the Humanbeing」は気持ち悪くてエロかった(誉め言葉)。
ハードSF的に考えるとかなり無理のある話だと思いますけど(などと書くのは先月号でイーガンと比較して煽ってあったから)。
そもそも作中で言及されている「毎秒40サイクルの視床時計によるパルス発振で意識が固定される」って仮説は最近否定的な見方をされているんじゃなかったっけ。
しかし、ある個人とそっくり同じに振る舞う物を作ればそれはすなわちその個人の意識を写し取ったと言える、というのはきっと本当だろうなあ。意識ってのはそうやって、ある一定以上に複雑な系の振る舞いの中で不思議と創発されてしまうものに過ぎないんだろうなあ。「情報的似姿」を作る過程の説明には、それこそ、イーガンの「ぼくになることを」を思い出しました。
冲方丁「マルドゥック・スクランブル"-200"」は実にやりきれない話。ウフコック、ボイルドの活躍にはほとんど焦点が当てられていなくて、事件当事者のドラマが中心でした。さすがの筆致なのですが、どこまでもこういう方向性で人間存在に迫ろうとする物語は、そろそろ個人的に辛くなってきた。
12月27日
昨日はビッグベン製造工程の作業員達が、みんなしてストライキに突入いたしまして、原料搬入口および製品搬出口から加工段階の未完成品が完全に排出されてしまうという大変困難な状況を迎えておりましたゆえ。
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最近の譜読み曲。
シューベルト、ピアノソナタ第19番D958ハ短調。春には18番のことを書いた覚えがあるけれど、冬にはこいつですね。シューベルト最期の年に書いた3つのソナタの1曲目。歌曲集《冬の旅》を引きずった部分もあって、暗く悲しい気分に満ちています。2楽章の、暖炉に当たりながらも辛い彷徨の幻影に苛まれるような音楽はあんまり暖かくて冷たくて胸が苦しくなる。1、4楽章のタナトス丸出しの不気味さもたまらない。
リスト、ソナタロ短調。どう考えたって最高傑作でしょうよ、リストの。同音連打による苛烈な主題が、情熱的な決意にもなり、この上なく甘美な歌にもなる。いくつもの主題がそれぞれ変幻自在に取り扱われる様には震えが出ます。メロディーメイカーとして、リストはショパンの才能に嫉妬したといいますが、この曲に関しては彼の作り得た最高級の旋律が満載でショパンにぜんぜん遜色ありません。
12月28日
結局お祭りに出向く気分にはならない中途半端な私です。
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おのぼりさんで、しかも、おたく。というのが人工知能にも判別できそうなくらいの一団が、そこかしこをうろうろしていたりする年の瀬の秋葉原。そんな秋葉原で、何を血迷ったか、宣教師が街頭演説を行っていた。
「イエス・キリストは、わたくしたちの身代わりとなって、わたくしたちの罪を、清められました」
自分の滑稽さに気づかずに一生懸命なので、なんだか切なくなった。今、彼の演説しているそのすぐ後ろの店では、リュックを背負ってセカンドバッグを腰につけた男が『ななみとこのみのおしえてA・B・C』を購入していったところだったりするのだ、たぶん。その男にとって、ななみちゃんとこのみちゃんが居てくれるなら神なんてぜんぜん問題にならないのだ。
キリストもきっと嘆くだろう。こんな世界のために俺は犠牲になったのか、と嘆くだろう。
「イエス・キリストは、救い主です」
宣教師は恐らく、世界がそんな有様であることを認識していない。自分が敵地にいることに気づいていない。ここは秋葉原。聖地秋葉原。エロゲーの向こうに真実が輝く街。彼らは、十字架を背負って丘を登るキリストなどには目もくれない。「へえ、ぼくらの罪をかぶってくれたの? そいつはありがたいね」と一言述べればあとは忘却の彼方。部屋に籠もって、ディスプレイの中の肌色を前に喜色を浮かべるだけだ。
さあ、宣教師よ。あなたは、彼ら――いや、俺達のために、心の底から祈れるとでも言うのか!?
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というわけで、安倍吉俊『灰羽連盟画集 グリの街、灰羽の庭で』買ってきました。糞先生がいない……。
書き下ろしや未発表ものの数は少ないですけど、それは仕方ない。美しい本に仕上がってます。あの世界の空気をふたたび味わえる幸せ。ぼくにとってこの作品は既に「特別な作品」なので。
レキの絵にある文字が読めないよぅ。
12月29日
大掃除なもんで窓磨いてたらそれだけで午後を使い果たしてしまいました。あんまり家族の役に立ってないなあ、俺。
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年明け新番組チェック……。見たい番組は大抵入らないと相場が決まっている。十兵衛ちゃん2なんてやるのか! いまごろ知った。自由役は堀江由衣……。うわぁぁん、小西寛子声が恋しいよぅ。
12月30日
留学するという友人と会って話した。向こうのお国柄があまりに適当すぎて、準備がままならないのだそうだ。
何か食べながら話をしようとあったかい大判焼きを買ったけど、それを食べてたって道ばたは寒くて手がかじかんで鼻水が出た。年末だからって市の文化会館が閉まってるのがいけないのである。結局、喫茶店に入り直して話をした。
自分がゴシップのネタになっていたと知ってびっくりした。こんなわたしでも、ネタになるんだ。
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「思い出にすがって生きていく」談義で夜更けまで盛り下がるのはどうかと思います。未来はぼくらの手の中に。
感想、憤激、おまえの正体は見破った等、もしよろしければこちらまで