■ 04年3月前半雑記 | Date: 2004-03-02 (Tue) |
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雑記
3月2日
昨日のことになるのだけど、目上の方にこんな話を聞かされた。
鮭が生まれた川に帰ってくる能力や、ハトの巣に戻る能力は、いまだに解明されてないんだそうですねえ。それとか、人間だって、ものを食べれば、仕組みのことなんか考えなくたって、ちゃんとそれが消化されて血となり肉となる。そういうのを見ると、なんでこんなにうまくできているのか不思議ですよねえ。神様がそうお作りくださった、と本当に感じますねえ。
世の中には数え切れないほどたくさんのきれいなお花があるでしょう? ああいうのを見てもねえ、ああ、神様、たくさんこんなにきれいなものをありがとうございます、って、思うんですよねえ。
まあ、ことを荒立てるべき場面ではなかったので、「はあ、はあ、なるほど」ときいてた。だけれども、どこか腹が立ってる自分がいる。自然への畏敬、感謝。それらの感情は決して私にとっていやなものじゃないはず。信仰を持つことそのものを否定したいとも思わない。じゃあなんであんなに嫌な気持ちがしたのか考えてみると。
要するに、こういうことなのだ。信仰を持ちだして思考停止することによって、彼らは人間性というものを踏みにじっている。人間性の(私の思う)特に大事な一側面、好奇心というやつを。
ハトの帰巣本能を完全解明しようと、あるいは花という器官がどう進化してきたか、ただそれだけの研究に長年打ち込んでいる人に対して、「神様がそうお作りになった」という言葉がどれほどの侮辱になりうるか、彼らは気づいてすらもいないのだろう。そうじゃないのだ。大事なのは、神様が作ったにしろそうではないにしろ、「そう」というのは「どう」なっているのだろうか、ということなのだ。人間、その心意気を失ったらおしまいですよ。神様に世界を任せておけば、私たちは感謝だけして何も知らないで生きていってもいい、というのは、最低。
うーん。敬虔なクリスチャンであるが故に科学をきわめようとする人もいるというのに、この違いはなんなんだろうかね……。
いや、解明されてしまっても「神様がそうお作りになった」というセリフは全然撤回の必要がないわけで、便利ではありますけどね。
良くある「眼球の構造の欠陥の話」とかを例に取って、「神様の仕事もずいぶんいきあたりばったりですね」とか言ってみたい気分にずっと襲われていたのだけど、本当に質問してみたら一体どう返答したのだろうか。神様には計り知れない深い考えがあって、眼球を欠陥品として設計したのだ、とか?
何者かの手によって複雑に作られたわけでもないのに、世界がこれほど豊かに育ってきたのだ、と考えてみた方が、よほどこの世の神秘に胸を打たれる気がするのだけれど、わかってはもらえないのだろうな、こういうのは。
寓話は寓話なりに真実を含んでいて、人間として生きることの説明にはなり得るけど、世界を説明するやり方にはなりえないのですよ、どうかわかってください。
3月3日
うん、こう快勝してくれると観戦したかいがあったというものです。火星に水はようやく確定だし、良い日でした。
・・・
『猫の地球儀』についての話を某所で読んだのと一昨日の会話のせいで、好奇心と夢と願いと宗教についていろいろと考えたりした。猫地って、好奇心/夢と宗教/願い、の対立構造を描いたものだった。そもそも「夢」と「願い」を対立させるってわけわからんと思われるかもしれないけれど、まあ既読の方ならわかってくださるでしょう。
純粋な願い/祈りをわざわざあっさりうち砕いて見せ、さらには夢をも綺麗に灰燼に帰せしめる作者にぼくは嫌悪を感じた(実際はそう身も蓋もない描き方ではない、テーマが胸にしみるものではあったのだけど)。が、あのラスト、対立してたはずの夢と願いがなんだか本当に対立してたんだかわからなくなるところは、信じることの確かな意味を描き出していたよなあ、と。
3月4日
久しぶりに日差しがあたたかだと思っていたのに、午後になったらなんだかみるみるうちに空が黄疸起こしたような色になって、唐突に大雨になった。夕立みたい、スコールみたい。夏でもないのにね。夏でもないのに、と思っていたら、その証明とでもいうように雨は一瞬雪まじりになって、今日の天気はどういうことばで表現すればいいのかよくわからないぐらいヤバイ。
・・・
最近あんまり頭を使わないものだから、書類を書こうとしても自分の書いていることが正しいのかとか、さらには、実は提出期限を過ぎていたりしないのか、なんてことまで1秒ごとに確認しながら書かないと心配でしかたがない。人との約束を知らぬ間にすっぽかしてたりしてそう。ヤバイ。
3月6日
『イノセンス』公開ですか。……ううむ。どうも押井監督の作品を劇場に見に行く気になれないのはなんでだろうかなあ。見ないといかんのだろうけどなあ。
さて、こんなアニメ映画はどうだろう。・基本的にゆるーい退屈な日常を延々と描くだけ
・存在するらしい何らかの大きな因縁が、少女が語る夢の中で断片的に示される(が、最後までうやむやのまま終わる)
・その際、幸せな夢の中に、斬り殺されて山道に転がっている男の亡骸、それにすがって亡く子どもの映像が執拗に挿入されて何か恐ろしい感じを与える
・たまに脈絡なく真言の詠唱が低く繰り返される音響効果を用いて恐怖をあおる
・途中で唐突に、正体不明の幼い男の子と女の子が出てきて禅問答のようなことをしゃべる。それがまた延々つづく
・眠くなって寝て、また起きてもまだ同じ場面をやっているようにしか見えない
・主人公らしき男は、突然謎の力を解放して光りながら消える(クライマックス)
・再び幼い男の子と女の子が出てきて、海を見ているシーンでエンドクレジット
・海はなんとフルアニメーションで描き込まれており、映像美だけでなんとなく感動したような気になる(が、どういう話だったんだか結局よくわからない)
いや、AIR劇場版は本当に動いていたんだなあ、と知りまして(出崎統氏のオフィシャルファンサイトの「今月の言葉」にコンテ切ってる話が書かれていますね)。あれをもし忠実に映画化するつもりなら、観鈴の因縁話だけに終始するしかやりようはないのだろうけど、そういう運命的な物語に仕立ててしまうと、それだけでもう原作とは別物になってしまう気もする。いっそ、原作のたるさと退屈さと冗長さを全部芸術として昇華させ、タルコフスキーばりの映像美で魅せるという手もあろうかと。
3月7日
このところリゲティのエチュード1番を弾いているのだけど、恐ろしいほどに頭に入ってこない。これ、右手と左手が調性も全然違うし、リズムもどんどんずれていく、つまり右手と左手がまったく無関係に進行していく音楽なんですね。いや、始まりも終わりも山場も、ぜんぶ共有されているから無関係とは言えないのだけども、いずれにしろ両手が有機的に融合して音楽になる、というようなことがまったくない。それが予想以上に難物であります。
MIDIとかで鳴らすとと異常にカッコイイ曲なんですけどねー。弾けるのはいつのことやら。
・・・
ロバート・リード『地球間ハイウェイ』読了。いまはやりのマルチヴァースってわけでもないですが(何しろ原本はもう10年以上前の作品だ)、多元宇宙を貫く「輝き」を通じて100万単位の数の地球を旅すること100万年、それぞれの地球を導きながら、そもそも「輝き」を作り出した存在と目される「創建者」を探す旅を続ける「巡りびと」の物語。
まあ、イメージの勝利ですかね。もっと凄い話になる余地はいくらもあっただろうけど……。なんか小さくまとまっちゃってますね、イメージの割には。
ただ、人はどれだけの存在になりうるのか、人はどうやって生きていくものなのか、そこにこめられた思いが感じられるし、ラストのイメージがとても染みるものだったので案外おもったほど小さな物語でもなかったのかも。そう考えると、カイルというキャラクターの心底どうしよーもない情けなさにすら許しが与えられるような感覚もあって、けっこう面白い作品だったような気もする。
いや、このカイルってキャラクター、こいつを見られただけでも結構な収穫かも、というくらい情けない男で、こんなのが主人公級の扱いで登場する話なんて見たことないです。しかも最後の最後まで情けない。自分を偽って虚勢を張っていた彼がどのようにその殻を破って本当の強さを知るのだろうか、とか思って読み進んでいくと、最後までそれかよ、みたいな。
でもたぶん、俺はこのカイルと同レベルだろうな、人間的には。はははははははは。
3月8日
飲み。以前からおかしいやつだと思っていた後輩だが、「ルドルフ・ゼルキンが死んだのはいつだっけ?」とか言われて即座に「1991年でそのとき88歳でした。ガンだったんですよね」とか、コルトーの話になって「ああ、その九州公演なら昭和27年ですね」とか平気で出てくるのはやっぱり普通じゃないだろ。
・・・
まあ何にしろ、自分の見繕ってきた店がみなさんに喜ばれるというのは嬉しいことで。実際、料理にも「おっ」という品があり、酒も充実している、何より店員が自分とこの料理・酒を把握できてるし店の雰囲気も良い、学生が飲み会に使えるような居酒屋としちゃかなり良いところです、とう庵上野広小路店。あのあたりで10人くらいの少人数で集まりたいなら一度は試してみて損はないっすよ。焼酎に力入れてますね。焼酎嫌いな人にもおすすめはしそ焼酎「鍛高譚」(たんたかたん)。安めだし、たいへんにおいしい。
3月9日
安っぽいナイト願望がお涙頂戴物語の定型の姿をとった、大変に恥ずかしい夢を見てしまった。あまりに恥ずかしい内容なのでここに書こうとすら思えないのだが、それにしてもなんにしてもわかりやすすぎ。フロイトさんに訊くまでもなくさっくり分析できる。
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正直、LittleWitchは消えてくれ……。いや、そりゃ演出技法としちゃなかなか見るべき所ありますよ、フローティングフレームアドベンチャー、だっけ? けどさあ、中身があんなんでどうするんですか。
シナリオが大槍氏じゃなくなったからましになるのかなと思っていたが、……。トライアル見ただけでウンザリします。それなりに取材してちゃんとその世界を理解して物語作れ。『のだめカンタービレ』とか見習え。
決して自分がいつも見ている世界だからあらが目立って見えるだけ、とかそういうレベルの話じゃないと思うのだけど。世間ではそういうリアリティみたいなのは全然なくて良いものとされてるのだろうか。
3月10日
なんか電波が飛んできて、オフィシャル通販申し込んでしまった。これ個人情報漏れとかしたらさすがに痛いよなあ。
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金星がすごく明るくて、毅然としたその瞬きを見ていると正しい場所へ導いてくれそうな気がした。導かれるのは俺じゃないだろうけどなー。
・・・
私用のネタならいいですよ、って……勧誘員と恋の予感?
3月11日
相手は日本語キーボードのない環境なのだから仕方ないわけなのだけど、ローマ字の文章はやっぱり読むのに時間がかかります。漢字かなまじり表記ってのは本当にすぐれものなんだなあ、と実感する瞬間。本気で日本語ローマ字論とか考えつく人ってどういう頭をしているんだろうか。
・・・
ぬくくなってくると、なぜか部屋の中でハエが飛び回り出す。クロショウジョウバエ。どっから入ってくるのだかまったく謎だ。家の中でわいてるのかもしれない。だったら怖いなあ。
何かに虫がわくというのは根元的な恐怖をかき立てる出来事だ。怖いとかなんとか言いながらしかし、小学校時代に教室の後ろのロッカーの上に並べられた水栽培のジャガイモがぐずぐずに腐ってウジ虫がうようよ発生したやつをこっそり観察するのが好きだった記憶がある。趣味悪すぎ……。
そんな私も一度虫で心臓止まりかけたことがある。家の裏で父親が生ゴミをためて堆肥を作ろうとしていた時期があった。堆肥というのはえもいわれぬ良い香りがするもので(と言い切ることに若干のためらいもあるが)、またキャベツの芯なんかがだんだんと形を失って土のように変わっていくのも楽しくて、幼かった私は堆肥づくりのドラム缶をたまに覗きに行くことを楽しみにしていた。
しかしある日、ドラム缶のふたをあけてみると、そこにあったものは堆肥などでは決してなく、縁までいっぱいに溜まったどろどろの茶色い液体ばかりが、なぜだか波打ちながらびちょりびちょりと音を立てている光景だった。手にしたふたにも大量に付着した液体が、大きなしずくになってぽちゃんぽちゃんと落ちる。それに気づくのに何秒かかったのだろうか。ふたから次々に落ちていくもの。それは液体などでは決してなかった。たまった液体が波打つように脈動している理由。茶色の液体にまみれて異臭を放ちながら、体長5センチはあろうかという細長い
大変失礼いたしました。しかし、あのとき私は泣きながら家に駆け込み、「どうしてあけたら駄目だって言ってくれなかったの!?」と息も絶え絶えに父親をなじったものであった。いや、虫ってのは、特に足のないヤツは、本当に怖いものなのである。
3月12日
さすがにデート商法くらいはいまどき知らないわけもないですよ、いくらナイーブな我々といえども。悪意や、少なくとも善意のひとかけらも含まれない事柄の存在をどこまで自分の行動原理に反映させるかってのは難しい。
いや、俺は善意の方を信じるぜ、っていう態度はぼくにとっては割とデフォルトな演技なんだけど、それを貫いてしっかり殺されてしまったとして、わが人生に悔いなし、と言えるか、ってそりゃきつい。
まあ、どこまでも人を信じる無垢な男が、デート商法なんかに携わるような心根の汚れた女の目を見開かせてやる、というようなどうしようもない妄想をしてみるのは心楽しいことなんですってば。もしかしたらそんな出来事も、世界の歴史の中で一度くらいは起こったことがあるかもしれないじゃないですか。
・・・
韓国大統領の弾劾可決発表のときの大騒ぎの写真が新聞の一面を飾っていたのだけど、どう見てもカツラとしか思えない物体が宙を舞っています。決定的瞬間を激写しすぎですよ……。
3月13日
今日は諸々の手続きに。それだけの一日でしたので、昨日のネタを引っ張ります。
・・・「ねえ、あの、――」
何を言おうとしているんだろう、自分は。いったい何を言おうとして口ごもっているんだろう。
「あ、あたしのこと軽蔑してるんじゃないの?」
これだった。しかもまずいことに、少し涙声になってたかもしれない。さすがに自分に呆れた。バカか、あたしは。
ちょっと、いつもと勝手が違うからなのだろうか。こういう仕事をやってると人の対応は大抵ふた通りにわかれる。ほいほい引っかかるごく一部のバカと、こっちをクズ扱いしてそもそも相手にしようとしない多くの常識人と。
でも彼は違った。全部お見通しのくせに、バカにするでもなく鬱陶しがるでもなく、笑顔で話してくれる。人間として接してくれる、とかいうヤツ? こんな風に人と話したのはもう何年ぶりなんだろう。だから……もうこうしてこの店まで連れてきた今になってあたしは。
「軽蔑なんてしませんよ。そんなことできる立場じゃないですし、ぼく。ただ……こんなことは止めた方がいいんじゃないかなあ、とは思いますけどね」
笑顔が痛かった。止めた方がいい、だってさ。当たり前でくだらなすぎて、……本当にそうだよね、と思った。でも――
「でも、今更っ」
ウェイトレスがコーヒーを運んできて、彼はブラックのままでカップを手に取る。ほんとう、今更だった。あたしはもうわけもわからなくなって、本気で泣いてい
そこまで書いたところで、頭をなぐられた。
「あんたは真性のバカ。こんな麗しい話になるわけないでしょ、デート商法が」
「なんだよ、殴ることないだろ。こんな妄想もいいじゃないか。それに」
この話には続きがあった。
「これはただのデート商法の話なんかじゃない。実はこの喫茶店じたいが、この女の属する組織が操る店なんだ。それで、コーヒーには特製の眠り薬が仕込まれている。女は男がそれを飲むのを止めようとするんだけど、ウェイトレスがにらみをきかせているからできない。この男もさすがに喫茶店の秘密にまでは気づけなくて、眠らされて組織のアジトに連れて行かれてしまうんだ。
「そして、女が一ヶ月後に彼と再会したとき、あわれ男は後ろ向きに奇妙な歩き方をして『ポゥ、ポゥ』と叫びながら子どもを襲うしか能がない下っ端の戦闘員にされてしまっていたのだった!」
彼女は俺の圧倒的なストーリーに感激しているようだった。
「どうだい? 切ないだろ? 『世界の中心で、愛を叫ぶ』の5倍は泣けるだろ?」
勢い込んで訊いた俺への返答は、溜息ひとつだった。
「突っ込みどころが多すぎてどうしようもないけど、とりあえず、ゼロに何掛けてもゼロだよ、てのは言っておきたい」
「じゃあ『冬のソナタ』の5倍」
見たことないけど。
「どーでもいいけど、あんたさあ、妄想と現実の区別がつかないとか、そういう類じゃないの、もしかして?」
「そんなわけない、この話は妄想に過ぎない、理解してる。だから俺は現実には絶対、デート商法の女と会いに行って『こんなことはさっさと止めて、ぼくとオーロラを見に行きましょう』なんてセリフを言ったりなんかしないぜ」
「そんなわけないわりにはずいぶん具体的なセリフだね」
そう言ってまた溜息をつく彼女。俺は少し意地悪な気持ちになって、不意打ち気味に抱き寄せてやった。
「わっ」
「なあ。妄想を現実と混同してしまう、なんてのは、よっぽどくだらない現実に生きてる奴らだけだろ? 俺はそんなことになるわけがないよ」
なにしろ、俺は現実に、こんなに幸せな世界に生きている。俺には――
「俺には君がいるじゃないか」
・・・
お返事いただいてしまいました(orkutの方もどうも!)。こちらこそ楽しみにしております。
まあ、あれです。ぼくは臆病者ですし、実際に幻想に基づいて動くのは無理そう。
うーん。しかし普通に営業として人と一対一で(しかもデートという名目で)話せる人間がいるというのがたぶん心の底ではあんまり理解できてないのだなあ。もう、たぶん全然別の生き物なのだろう。
3月14日
目の前ににんじんがないといけないな。
・・・
それとも、後ろから土石流が来るとか。
・・・
何かが壊れて、そのときの辛かった記憶まで薄れてくると、自分がどれほどそれを大切にしていたのかも良くわからなくなる。それでも、祈りが届かなかったにしろ、心から祈りを捧げることができたということへの誇りは残っている。その祈りの気持ちすらももうよく思い出せないけど。
3月15日
さよなら妖精がみつからない。図書館のデータベースは、まだ「準備中」なのに予約が入っている。うーむ。
・・・
オラフ・ステープルドンの『最後にして最初の人類』(国書刊行会)を読んでいるのだが、さっぱり進まない。人類が滅ぶまでの20億年の歴史を神話的に描いた本なのだという。1930年出版のこの本は、人類という種を的確に描いてまったく古びることなく、驚くほど興味深く、――しかしなかなか読むスピードは上がらないんだよなあ……。人種とかお国柄の捉え方も随分とうまくて舌を巻く。アメリカが悪の司祭へと堕落していく過程とか、まさに今の時代に対応するかのようなリアリティ。
・・・
今日はいくらか運動をした。実に気分が良い。人間は身体を動かさなければ心も駄目になるようにできているのだ、きっと。
・・・
この検索は、かなりエスエフ。
感想、憤激、おまえの正体は見破った等、もしよろしければこちらまで