■ 04年3月後半雑記 | Date: 2004-03-17 (Wed) |
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雑記
3月16日
たとえばスペインの社会労働党はテロのお陰で勝ったと言っても良いわけなんですよね。党幹部とかはどんな心情なんだろうか。「いやあ、テロ起こってほんとよかったっすね!」とか語り合ってたら嫌だな。
「こんなことで自分が利することは、正しいのだろうか?」なんて思いながらも、その利益は受け入れざるを得ないような状況には心が迷う。目指すものの輝きを信じていられるならば、たぶん迷うこともないのだろう。社会労働党幹部も、テロを断固として憎みながら、今回の勝利には屈託なく喜ぶことができるのかもしれない。
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たくさんの関係性の中で寂しさを癒す人というのは、少ない関係性をやたら大切にしたがる人間より強い立場にいるような気がしてならない。
後者に属する人間が、前者との間に「大切な」関係性を築こうとすることは普通はあんまりない。普通は、だけど。普通じゃない場合、後者に属する人間の方は結構くるしかったりするらしい。したらしい。
3月17日
風の日。風が強くて外に出なかった。
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からっぽだ。ぼくの脳内は驚くほどからっぽだ。こんなにからっぽで何を書けというのか。今も外で風が騒いでいる。絢爛なシャンデリアのようだった近所のしだれ梅は、散ってしまっただろうか。
しだれ梅は幸せものだな。今こうしてぼくをはじめ、きっとたくさんの人たちに思われているのだから。ぼくはしだれ梅になりたい。
「しだれ梅になってる場合じゃないの。人として誇れる生き方をしなさいよ。休み中にステップアップしないでいつするの」
「ねえ、巨匠養成ギプスとかないのかな?」
「ないです」
3月18日
雨の日。雨が降っていて外へ出なかった。
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からっぽだ。ぼくの――
おかしいな。既視感を覚える。
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今更な話題という気もしますけど、「ロリコンのオタクは幼女を殺すので危険」というような話が巷に溢れれば溢れるほど、本気で「自分には幼女を殺す危険な傾向があるに違いない」とか思いこむロリコンのオタクは増えるんじゃないかと思うのだけど、報道している側にとってはそれはそれでひとつの成功なのかもしれないなあ。自分にそういう傾向があると一旦思いこんでしまうと、妄想はどんどん加速して実際の行動にまで影響してきたりするのではないかなあ。
世間から見るとぼくも「ロリコンのオタク」とかのカテゴリに入れられる危険を感じないでもないのでちょっと話題にしてみました。
なんであろうが犯罪はやめましょう。良心がとがめる行為は慎みましょう。人間として基本。
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しかしサッカーU23は良かったですなあ。勝てるか心配してましたぜ。
3月19日
今日は外に出たよ。人に会ったよ。しかし心和むなあ、この人たち見てると。
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異常な犯罪者と正常な自分を対比させるという無邪気な論理はそりゃどうかと思うのですが、「誰かを異常と言うことが可能なら、自分だって異常かもしれないんだ」ってのを結論にして、それで何の役に立つのだろう?
自分が異常なのだったら、絶対にそれが悪い結果を引き起こさないように心に念じる決意くらいはないと困る。
うーん、ぼく自身はいまの自分が「犯罪加害者になる危険」に対してはかなり安全圏にいるつもりなので、こんな気楽な意見が言えるのだろうか。
しかし、71年スタンフォード大で行われた有名な監獄実験(映画にもなってますよね)なんかを考えてみても、自分が安全圏にいるとか思っている時点で既に危険なのかもしれない、と自戒。
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でもなあ、たとえば今日会った心和む人たちに看守役をやらせたとしても、あの人たちは残虐性をむき出しにしたりしないだろうと思うんだよなあ。そう信じたい。いや、無理に信じたいとか思わなくても絶対そう。
人は正しくあることができる。しかし、決して迷わずにそれを目指すためには、宗教は必要なのかもしれない。
3月20日
信じたいことだけを書いていると、とても頭の悪い文章になるようだ。言い訳はすまい。
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氷雨の中コンサートへ。某大ホールが満員。ちょっと仕事弾きっぽいオケが気になったけど、だんだん良くなったような印象でした。観客が暖かくて素敵。
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手の届く場所だと思う、ならば届かさない手はない。
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ステープルドンの『最後にして最初の人類』は、読み進むにつれてすごい展開になってきた。第二期人類とか火星人とか出てきて、もう今の世界は跡形もない。けど、それでも格調の高さは失われていないあたりはまさに神話的。まだ半分くらい。
3月21日
ここはあんまり大学の知人には見られていないはずだと思う。いや、しかし「もりげ」とか「もりげレビュー」で検索してくる人が後を絶たないので、もしかしたらここを黙って読んでは恥ずかしい部分をコピーしてまとめつつ、あとでぼくを強請ろうとか企んでるそこの君がいるかもしれないのだけど。
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まあそんなわけで、あんまりこういうネタで他人を非難するのはマズイかもしれないのだが、あまりに驚いたので書く。
メールが来た。「謝恩会の詳細が決まりました」と。
「ひとり\12,500でなんとかおさまりそうです。必ず参加してください。ちなみに二次会は¥3,000+αです」と。
オンドゥルディナイドゥダベナンディスカ-!?
こんな高級パーティーする必要どこにあるんだ……。半額で貸し切りで使えてむちゃくちゃ雰囲気も良いレストランバーを知ってるぞ。
くそー、だめだ。奴らは上流階級だ。俺には到底ついていけん。
3月22日
暖くなってくると、免疫はじめ身体の機能は低下するという。そこに持ってきて今日の真冬のごとき寒さであるから、これはお外で暮らしている人たちなんてかなり大変だったのではないか。そんな心配をしてしまうほどに底冷えのする一日だった。
こんな日だと、ぼくは電気ストーブをたいて暮らすのだ。ふと気づくとタンパク質の焼ける異臭がしたりする。
その原因と言えば、いつの間にかぼくと電気ストーブの間に勝手に割り込んでいた猫なのだ。ヤツの毛皮が真っ黄色に焦げているのだ。うちの猫の毛皮は、焦げると茶色というよりは黄色になる。「焦げ茶色」と、名前に「焦げ」がつく色があるくらいだからそういう色になっても良いと思うのだが、焦げ茶色でもなくて茶色でもなくて、黄色。いや、焦げ茶色ってのは茶色が焦げた色なのか? そもそも茶色ってなんで茶色って言うのだったっけ。
とにかく、ぼくは電気ストーブをたいて暮らさざるを得ない。さもないと凍え死ぬので。しかし、シベリアの凍土を歩いてわたった人々なんて、燃やせるものすら満足になかっただろうに、凍え死ななかった。それはなぜだ。運動していたからだ。
ということで、だ。デスクチェアに運動用に足こぎボートのようなペダルをつけて売り出すのだ。「暖房不要! パソコンしながら運動できる!」
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わたしには頭の体操こそが必要かもしれない。
3月23日
謝恩会のお値段についてつい数人にこぼしてしまった。「ひゃあ、それはすごいね」と驚き呆れ、同情してくれた人もいた。
しかし、あるセンパイにはこう言われた。「今までお世話になって、卒業させてもらって、院にも入れてくれた先生方への感謝の場なんだから、ケチケチしてんじゃないの。恥ずかしいぞ」
恥ずかしいぞキター!
あうあうあうあうあうあ。
あうあうあうあうあう。
あうあうあうあうあ。
あうあうあうあう。
あうあうあうあ。
あうあうあう。
あうあうあ。
あうあう。
あうあ。
あう。
あ。
。
そうですね……。
まったくその通りでございます……。
この通りです。
○| ̄|_
OTZ
orz
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でもいいもん。美容師さんに「髪多いですね!」って誉められたから。
3月24日
井上剛『響ヶ丘ラジカルシスターズ』(ソノラマ文庫)読了。宝塚歌劇団90周年特別企画(たぶん)。宝塚がモデルの「響ヶ丘音楽学校」の生徒3人(タカビーなマジお嬢様、格闘技系乱暴口調女、感情移入得意な京都弁天然少女)が、女性による舞台演劇を全滅させんと企む悪の秘密結社と戦うはなし。まあ、楽しかった。でも、もっと熱い話にもなるだろうし、もっとはっちゃけられるだろう、この設定なら……。抑制ききすぎてると思いますし、もっと会話で笑わせてもらえれば良いのですが。アニメ的演出を文章でやろうって意図はわかるのですけど、まだまだいけるはずだ。
作者としては続編を想定してるのかも。話にからんでこなかった設定などが多数ありますし、彼女たちが歌劇団のスターになるまでを描ききってくれたら大変嬉しい。
いや、わざわざ紹介したのは、なにせこれ、SF新人賞受賞後に書いた二つ目の小説でしょ……? あなたSF書く気ないでしょ、実は。という、そうとしか思えないとこが一番笑えた。
3月25日
結局2次会まで出てきたよ。弱っ。
いや、しかしまあ、一生に一度ですからまあいいんじゃないかと。I'm in a holiday spirit. というくらいの気持ちになっておりました。
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司会だったんですよ、1次会の方では。先生方のお言葉にひとつひとつコメントしつつ進行していたら、「こんな立派な司会は珍しい」とお褒めにあずかったり。わー。ヒヤヒヤでしたけど、自分が何を言ってるのかよくわからないくらいで。
クラスがこれほど集まるのは新歓コンパ以来なんじゃないか、というような場で、4年間で得た物を振り返りつつ話すというのは、感慨があるもの。出て良かった。
まあ、それでも一言いうなら、どう考えたって出した金に見合うような会場だとは思えなかったけどな。
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しかししかし、みなさん振り袖であでやかなことよ。……目の保養でございました。
3月26日
西島大介『凹村戦争』読了。「ぼこむらせんそう」じゃないですよ? 「おうそんせんそう」ですよ。
えーと、帯。きみとぼくの非日常に隠されたメタとネタと萌え SFはここから変わるうーむ。うーむ。うう。頭を抱えたいですね、私は。――東浩紀
で、内容はといえば、いわゆるセカイ系(もうほんといい加減この言葉イヤなんですけど……)そのままな冒頭から、セカイ系とは逆に、というよりはそれらへのアンチテーゼとして「主人公の少年は、黙示録的な戦争の中心とはサッパリ関係ない場所から世界の崩壊を眺めるだけなのであった」という展開を導いたもの。それを、大量の引用やオマージュで飾りつつ描いたもの、と言えばわかりやすいのでしょうか。
隅から隅まで記号的な作品。こういうものを見るたびに思うのだが、記号的な作品の作者というのは、表現したいことやら思考の過程やらまで記号化してしまっているのではないだろうか? もちろん、ジャンルの現状や時代背景への問題意識を持つ人がいなければならないことはわかっていますが、それを主要動機として作られた作品が本当にそのジャンルを変える力を持つことはまずないと思ったり。
SFマガジンで東浩紀と対談して自作の内容についてことばを尽くして語っているのがまたマイナスポイントです、私にとっては。
まあだからなんだ、SFマガジンに言いたい。ノー・モア・東と。
で、みなさん、世界の不条理と主人公たちの無力と黙示録的な終末を堪能したいなら、『人類皆殺し』でも読みましょう。
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時代背景がどうだろうと、ジャンルがどうなってようと、本当に力のある作品ってのはそんなこと気にも留めないものなんじゃないですかね。それをジャンルやら時代背景やらに関連づけて語るのは周囲の論者のやるべきことでしかない。語るべきこと(記号的じゃないもの、心底どうしようもなく語りたいもの・表現したいもの)があって、それをしかるべき方法で成功させることが、表現者の仕事では? 人が求めるものは結局のところ記号じゃないはず。
3月27日
今日はタカアキラさんからのありがたいお誘いもありまして、コバゲンともどもV林田の腰巾着としてSF系花見オフに顔を出させていただきました。快晴でぬくくて日差しもたっぷり、顔が焼けた。
『プラネテス』の幸村誠さん本当に来てるし! カッコイイ! こんなことならちゃんとサインしてもらえるように持っていくんだった……。
お世話になっているSF系日記更新時刻の細井さんや、ほかSFマガジンの偉い人や京フェスの偉い人がたくさんでもうどうしましょう、という感じ。ああ、もっと礼儀正しくしてちゃんと会話ができれば良かった……。集まりに参加すると、いつもそんなんばっかり。
食べても食べても増えるコロッケに雑菌を食べ過ぎて死ぬマクロファージの哀切を思い起こしながら、しかし手料理振る舞ってくださったみなさん、ほんとうおいしゅうございました。
帰りはなんと家までてくてく歩いた。コバゲンとふたり。
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思うのだけど、ぼくは記憶力なさすぎなのだ、きっと。アシモフの短編のロボットの名前ばんばん言えるなんてもう凄い尊敬。
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帰ってきてローザンヌを少し見ていたら、「C.バレンティン」という人の曲で踊ってるイギリス人がいた。「C.バレンティン」の正体は、アルカン(Ch.Valentin Alkan)だった。曲はエスキス作品63の第一曲だった。この事実だけこう記しても、ほとんどの人はぼくがどれほどビックリしたかサッパリわからないだろうけれど、ともかく、ビックリした。
3月28日
自転車で遠出の帰り。残照に西の空が染まる中、飛行機の航跡がやたらとまぶしい。飛行機雲と呼べるほど伸びることはなくて、潔い。
見ていると、飛行機というのは驚くほどたくさん飛んでいるのだった。西の薄く赤い空に向かってゆく、針をばらまいたような5つ、むっつの軌跡。家路か、旅立ちか。
川沿いは桜だらけ。
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そういえば、3日前に大学の連中と話してて怖い映画の話になったときに「マルホランド・ドライブ」のことを話そうとして、デヴィッド・リンチの名前がどうしても出てこなくって困ったんだった。外部メモリーがないともうだめなようですよ、この脳味噌は。
3月29日
合わせに出かける。こんなあったかい季節になったというのに、どうも風邪の人が多いようですよ。
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電車の中で携帯に出て、「いま○○(駅名)だから、すぐ向かいます」とか言ってる人がいて、でも実際は○○(駅名)はまだまだ先なのであります。
嘘はだめよ? そもそも混雑した車内は通話禁止。ということに一応なってるんですし、だめですってば。
3月30日
今日も合わせ。本番近いしね。
ふと思ったのだけど、「合わせ」って何の事やら意味が分からないという人は多いのだろうか。室内楽や歌曲など、複数でつくる音楽は、実際にステージに乗せる前に一緒に練習する必要があるわけで、そういう練習のことを「合わせ」と呼称しておるわけです。
今回は複雑な構成の舞台なもので、照明などをかなりいじる必要があるし、楽器配置もギリギリで大変。手際よく進行表や配置図を書くマネージャーの人がかっこよくて、ちょっと惚れた。
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どうでもいいような感情の流れをリアリティ溢れる描写で文章にしたら、それは文学だろうか? たとえば、ネットで日記を書こうとして何にも思い浮かばないので、困っているとどうにも飛蚊症が気になってしまい、いや待てよ、飛蚊症なんてもんじゃないだろ、こんな巨大でねじれた蚊がいたら怖すぎるよ、血とか平気で1リットルくらい吸われそう、とか余計なこと考えて、それ以前に最近また視力が落ちてきてるような気がするよやばいよ、だからこんなパソコンの画面の前でぼうっとしてるうちに何十分も経過してたりするのが絶対悪いんだよね、そもそもこんなことで就寝時間が遅くなるのは健康に鑑みると最低だし、つうか健康云々以前に客観的に見て最低、しかもこうして遅くなれば遅くなるほど余計に頭の回転は鈍くなって、何も書けないままで何時間も経過してしまうんだ……、というようなことを美麗に書きつづると芥川賞とれる?
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雨降りすぎですよ。花が散ってしまう。
感想、憤激、おまえの正体は見破った等、もしよろしければこちらまで