「頑張れば夢はかなう」なんてきくと「うそつけ」と思う。と、そんな科白が、ノワールの書き手の某作家のことばとして紹介されていた。まあ、そうなんですけどさ。
ぼくの世界認識ってのは、どうしようもなくきちりきちりと仕事を進める物理宇宙があって、その一部として人間なんかもいたりする。
で、人間は夢などというものを見て、その夢に沿った形で物理宇宙を再構成して捉えようとするんで、それがいわゆる生きることとかいうやつだ。再構成というのはどうしたってうまくいかないわけで、そうすると恐怖を感じたり、悲しかったり、神に祈ったりする。たまにうまくいくと、つまりそれが幸せ。
そんな感じのイメージなわけですよ。すると、やっぱり宇宙を再構成するための「夢」は夢であることがわかってていいし、その夢はわかりやすくて優しいものでいいんじゃないかと思う。暴力とか犯罪とか憎悪とかってつまりはうまくいかなかった再構成の切れ端で、もちろんそれはとても大切な切れ端ではあるけど、あえてそれを核にして世界を構成しなおすような存在でもない、ような気がする。
書いてて自分でよくわからないけれど。
今週は毎朝とても早いので、書きなぐってさっさと寝ようとしております。
ただ言いたいのは、頑張って頑張って夢を追って生きたらそれだけで許されるのは二次元美少女くらいのもんですよなあ、ということ、かな……?
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