作品を生み出すことが目的なのか、その作品によって何か表現したいことがあるのか。もちろん、すべての事象がなんらかの情報を担っているように、すべての作品は何らかの表現であるのだけど。
作るために作られたものはどうもいけない。こういったものが出るのが自由主義経済の弊害だと言い張っている私です。どれもこれもマーケットに乗ってる作品はこの側面があるわけなので。ただ、その中にちゃんとどうしようもない表現への欲求が隠れていると、嬉しい。もちろん「欲求が隠れている」かどうかの判断は主観的だし、思い込みに過ぎない可能性は常にある。でも、その辺りを見分ける能力についてはそれなりに自分を過信してる。過信だよなあ。
あと、何か表現したい重大なテーマというのをわざわざ見つくろってきたような作品、というのもどうも苦手。「わざわざ見つくろってきた」かどうかの判断は主観的だし、言いがかりに過ぎない可能性は常にある。でも、その辺りを見分ける能力についてはそれなりに自分を盲信してる。盲信、としか言いようがないよなあ。
mail:gerimo@hotmail.com