まあ、『ポスト・ヒューマン誕生』読んでおけばこっちは読まなくてもよい気もするけど(おい)、ナノテクに関する具体的な展望が多くてわくわくします。10億人くらい入るマンションいくつかぶったてて暮らそう、とか、高さ100キロ長さ400キロの発射台を建てればロケットいらないよね、とか。ちなみに軌道エレベーターは、著者によればわざわざ作るほどのもんでもないらしいです。それはちょっと残念……。
読んでいてわかるのは、カーツワイルもそうだったけど、こいつら本気だぜ、ということ。2050年の未来には家庭用の合成機が当たり前になる、というくらいの心持でいるのですね。シンギュラリティについても当然のものと捉えている様子。オーケー、その予測に俺も乗った。
しかしつくづく思うのだが、『ポスト・ヒューマン誕生』ってタイトルは良くないよなあ。ベタ訳の『シンギュラリティは近い』がはるかに良かった。ポスト・ヒューマンって言葉をそもそも著者は嫌っている様子だし(本文にもそう書いてある)、シンギュラリティという単語がピンとこない、ってのは原書でもたぶん同じだったんじゃないかなあ。
「シンギュラリティ? 近い? なんのことだ?」って態度で手にとってもらえればそれで良いと思うし、なによりこう、「近い」って言葉にこそ、内容の煽動的な雰囲気とかわくわくきらきら感とかが表れる気がするんですよねえ。とかくだくだ言ってても仕方ないんですが。編集の方のブログ記事にある『アンドロイドの身体』とかいうのにならなかっただけマシだと思うべきなのか!?
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