パッケージングを忘れた人々
con・tent
━━ n. 内容; 容積, 容量; 含有量; (pl.) 中身, 目次; 【コンピュータ】コンテンツ ((情報サービスの内容)).
忘れているのはAdded Valueの存在もだ。
iPodショックから日本企業は何を学ぶのか
展示会、というか、まあ展示会みたいなところで開発担当の人とちょっとだけ話をしたり。
これだと不便じゃないですか?と訊くと、ホントに苦悩した顔で返してくれたわけです。
「あちらの業界がいろいろと、そのうるさいものですから…」
自分たちがもっているノウハウとブランドと、それをもってハードウェアをデザインして、さてサービスレイヤをソフトウェアに実装しようとすると強大な壁が立ちふさがってどうしようもなくて結局作れる製品は皆中途半端というより歪なバランスのものばかりになってしまって、あげく実装に多大なコストをかけて値段も高いと。
消費者はデジタルジャンキーに染まって見た目より使い勝手とアジア製品を発掘し始め、市場はいっこうに花開かず、そこにやってきたのは「ライバルはソニーだ」とCEOが昔言い放った、デザインとブランディングにたけた林檎の会社、の製品。見た目も使い勝手も揃ってて、あっという間に市場をつかんで、そしてたった一人で市場自体を広げましたと。
コンテンツだけのコストとコンテンツパッケージのコスト、そして価値が同じでないと言うことをどれだけうまくコンテンツホルダーに説けるか、そこらへんなのでしょうか。
よく勘違いされていることはコンテンツだけが価値を持ってるわけではないと言うことです。当たり前なのですが、媒体によっては付加価値が増減しますし、パッケージングにも付加価値がつきます。価値のすべてを自分たちが握ってるのだと勘違いしたままのコンテンツホルダはなかなか手強い、というか頭痛の元にしかならないものです。
最近頻繁に言われるHDも一つの価値です。SONYやMicrosoftが頻繁にHD WorldやExperienceと言いますが。放送ではデジタル伝送であることとHDデータであることが実質的に不可分なためにすぐ勘違いされますが、これはちゃんと二つに分かれたものです。
まあそれはともかく、媒体によって価値が違うことを考慮して提供できているのかとみてみれば、一律の網が燃え広がる魔女狩りの火のように。
−−ああ、この人たちは自分たちが握っているものの価値というものを実は全くわかっていないんだなとそう納得してしまう、そんな状況。
ブランドにそれなりの重さをもって扱ってきたベンダは本当に焦っているように思えます。まさに自分たちが構築してきた付加価値が灰燼にかすかもしれないという危機感を持たざるを得なくなってきてるのですから。
実際、製品売る人はそうとう困ってると言うことを言ってましたしねぇ…
一つ例を挙げるとすれば放送番組の録画データをファイル放流ネットワークで検索してみるとMPEG2のままの形態すらほぼ見あたらない、DigitalBSで遣っていた番組のデータはリサイズされてコンパクトになっている、ビットレートはみんな低い、となんかこう、不正コピーの例と何かが違うのです。なんでしょう。
結局その放流されたファイルに対する需要はそのコンテンツに対してUnReachable(様々な形で)な人々がほぼすべてではないのかという仮説がそこにはあります。手元にある人はわざわざ取りに出かけていきませんよね?じゃあディストリビューションを変えるのではいけないのでしょうか。どちらが損失を少なく、いえ、どちらが増収につなげられるのでしょうか。コンテンツ流通を絞っても市場の潜在化しか招けないのは過去様々なところで通ってきた道ではないのでしょうか。
ていうかぼんやりしてるとどっかの周波数よこせ親父の遠大な仕掛けが発動しちゃいますよこのまんま過ぎてくとマジで。障壁排除は手慣れたものですからなにしろ。
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