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もりげレビュー


  書評:『ユーザーイリュージョン――意識という幻想――』 Date: 2002-09-13 (Fri) 
 歩を進めるうちにどこか、もといた場所とは遠いどこかに連れて行かれている。目にする物はなべて新しく、驚くような美しさに満ちている。そしてついに終点に辿り着いたとき、世界が変わってしまったことに気づく。今まで見なれていた世界が、新たな輝きを得たことに気づく。
 本当にわくわくする読書体験というのは、そんなものである。そしてもちろんのこと、そんな体験というのは滅多にできるものではない。
 本書、『ユーザーイリュージョン』(トール・ノーレットランダーシュ著/柴田裕之訳/紀伊国屋書店)は、意識についての本だ。意識について語るものといえば、認知科学に立脚したものが多いが、本書のアプローチは少し違う。なにしろ、原著は1991年にデンマークで出版されたものなのだ(実に13万部――人口比換算すると、日本での250万部相当――を売り上げたとか)。もう11年も昔の話である。fMRIの手法がはじめて確立されたのがちょうどその年なのだから、もしもそういう立場の著書であったなら本書は過去のものとなっていてしかるべきだったろう。だが、本書の内容は今読んでみてもまったくといっていいほど古びていない。そして、わくわくする。
 たしかに最先端とはいえない内容のはずなのだ。たとえば、引用される実験などは(意識に興味を持って文献を読みこんでいるような人にとっては)おなじみのものでしかないと思われる。それはリベットであり、ガザニガであり、ラマチャンドランだ。にもかかわらず、ノーレットランダーシュは、おそらく本書のあとで出版されたどんな本よりも確かな筆致で新たな世界の真実を描き出して見せてくれた。序文からすこし引用しよう。

 歴史を研究してみればわかるとおり、今日私たちが意識と呼んでいる現象が見られるようになってから、せいぜい3000年しか過ぎていない。中枢にあって「経験する者」、意志決定する者、意識ある〈私〉という概念が幅を利かせてきたのは、たかだかここ100世代のことなのだ。
 本書は数々の科学的経験に基づいているのだが、そうした経験から判断すると、意識ある自我の支配が今後も延々と何世代にもわたって続くことは、おそらくないだろう。
 〈私〉の時代の幕切れは近い。


 この文章からして、私をわくわくさせるに充分なものだ。この著者はどんな場所に連れていってくれるのか――。
 すでにおわかりのとおり、本書の主張は「意識とは幻想である」ということだ。脳に入力される情報をビット換算すると、少なく見積もって1100万ビット/秒。それに対して、意識が処理できる情報は多くとも40ビット/秒を超えることはないという。一体、我々の意識はどれだけ自分の脳の処理を知っているというのか? しかも、そもそも意識は現実に対して0.5秒遅れている、というのだ。自分の行動でさえ、意識の知らないうちに決定されているようなのである。すべて自分が管理し、決定していると主張する意識ある〈私〉。その主張はお話にならないほどばかばかしい嘘であった。意識は、世界をまったく正しく認識していない。
 さて、意識とは幻想であるとして、それは何を意味するのだろう。我々に自由意志などないという証明だ、という意見もあった。だって、そうではないか。自分の決意は行動に遅れてやってくるというのなら、自由意志があると考える必然性はなくなる。私もそう思っていた。だが本書に描き出された世界像は、――意識が幻想である、という見地の上にうち立てられた世界像は――信じがたいほどヒューマニスティックで、美しく、壮大だ。彼の語りは、科学から出発し、宇宙について、人間について、この地球について、未来について、それらすべてへと通じている。
 本書は、癒しの書でもある。たとえば本書の第10章を読むと、「自分に自身を持てばもっと何でもうまくいく」という主旨の自己啓発本に驚くほど良く似ていることに気づくだろう。そう、自己啓発本を信じられるのなら、それで良いのだ。本当にうまくいくに違いないのだ。しかし、私はどうもその手のものは苦手であった(そして、舞台の上で精神状態をコントロールするのにいつも苦労し、案の定失敗する)。だが、本書のような確かな裏付けとともにその内容が示されると、確かにその内容が腑に落ちるのだ。ストン、と。
 本書は、崇高なるものについての物語でもある。どうにもならない無力感と倦怠、信じる物が何もないという憂鬱。宗教を信じることができるのであれば、そんなところからは救われるに決まっているのだ。しかし、我々の多くは明らかな嘘を信じることはできない。科学がこれだけ発達してしまった社会で、もはや宗教は救いにならない。何を信じるのか? 何に意味を見いだせばいいのか? おそらく、本書を読めばいくらかの救いが得られる。
 最終章も終わり近くなって、私は涙を押しとどめることに苦労した。あくまでも科学解説書の部類でしかないはずなのだ。にもかかわらず、この感動はなんなのか。
 本書は、まさにセンス・オブ・ワンダーに満ちた素晴らしい物語である。実は、突っ込みどころは多数ある。それも小さいとはいえない傷であったりする。しかし、そんなこととは関係なく、核心には確固とした世界観が存在し、そしてそれは納得のゆくものであり、しかも胸に迫るものであった。多くの人に、読んでみて欲しいと思う。自分を有機機械だと知っている科学信奉者に。自分の無能を知っていると思っている弱気な人に。都市生活に得体の知れぬ心の渇きを感じている人に。この世界の美しさを知らない人に。

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