■ 03年4月後半雑記 | Date: 2003-04-17 (Thu) |
最新の雑記へはこちらをクリックしてください。
雑記
4月16日
Tシャツ一枚で出歩けるような夕方。
灰青色の東の空に、ほとんどまんまるな月が出る。
そんなぼやりとした赤錆色の月すらも、
不気味というよりはお茶目に見えてしまうのは
この春の空気のおかげなのだろう。
道ばたで、小学生たちがテニスをして遊んでいる。
そうか、今はテニスが人気なのだな。
きっと彼らは「王子様」を目指して奮闘しているのだ。
がんばれよ、(腐)女子のハートをゲットだぜ!
俺は浮き立つ心のまま、素直に彼らを応援した。
そう、若葉の季節だ。
萌えいずる青葉の季節だ。
世界は萌えている。
萌え萌えだ。
だから、きっと俺の心にも春は近い。
ほら、彼女の名を呼んでみろ。
I'm really moemoe in Shima-tan.
ステルヴィアの録画のスタンバイは、完璧だ。
・・・
アクセス解析してない、と書いたところ、ここの管理人のこばげん氏がCGIを置いてくださりました。ということで昨日から解析しております。
予想より来客が多いようで……。どういう検索で来たかチェックするというのは楽しいものなんですねー。こばげんさん、ありがとう。
4月17日
演奏会を聴きに。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの鍵盤音楽という定番ものでしたが、なんとベートーヴェンは「ハンマークラヴィーアの為の大ソナタ作品106」でした。ノーカットで。作曲者自身、「演奏会で弾くならカットして弾くべき」と言ったとも伝えられるとてつもない大曲で、人前ではなかなか弾ける代物じゃありません。聴く方もそんな長丁場を集中して聴くのは大変です。そんなわけで、3楽章のアダージョは、もうスッカリいい気分で寝入ってらっしゃる方々の深い呼吸音が響き渡る中での演奏となりました。
しかしまあすごい曲。終楽章のフーガははっきり言って弾けてなかったんですが、そんな解像度の低い演奏にも関わらず、途方もない歓喜の手触りが感じられる。でも、そのことを万人に伝えるのは多分無理なんでしょう。多くの人にとっては、ただの意味不明なまでの長い曲、というだけなのかも。
4月18日
あのですね、大学の教育実習担当の某教授にもの申したいのですが。
彼、オリエンテーションで教育法規についての授業を行ったのですね。で、まあいろいろと解説してくださったわけなのですが、あのぅ、ご自分がご存じないことについて得々と語るのはおよしになった方が良いのではないかと。
校長、教員の欠格事由として、「禁治産者、または準禁治産者」「禁錮以上の刑に処せられた者」というのがあるんですね。で、彼の言うことにゃ
・禁治産者について
「財産というのは、先祖代々うけつがれた、何人たりとも侵すことのできない非常に大事なものですね。そういった土地やなんかを、気軽に人に使わせたりして、そうすると使った人に居住権が発生したりする。そんなことをしたら、大事な土地が他人のものになってしまったりするわけですね。こんなことをするような人は、財産を治める権利はない、ということで、禁治産者、というわけです」
……なんですか、それは。
えーと、禁治産者というのは、「心神喪失の状況」のために財産管理能力がないと認められた人のことです。
・禁錮について
「普通、刑務所に入れられるときは人と相部屋で、自由に部屋の外にも出て空気が吸える。けれど、禁錮というのは、違うんですね。独房に閉じこめられて、出ることもできない。非常に重い刑罰ですね」
…………異世界から来られたのですか?
だいたいにおいて「刑務所に入る」というのは、ふつう禁錮より軽い拘留ではなく、懲役刑のことを指すことが多いと思うのですが。
まあ、こういう人も音楽教育の第一人者として教科書を編纂したりできるのだということで。いろいろと勉強になりましたよ。
4月19日
電撃hp買いたくないなぁ……でも読みたいなぁ。自分勝手ですね、はい。
・・・
なんかステルヴィアで検索して来る方が割と多かったり。というわけで本日3話を観賞。そうか、堺三保さん脚本でしたか。しかし、グラフィカルなプログラム言語の表現方法までリヴァイアスに似てますよねえ。「俺達がやれば、同じ素材もこんなに素敵な作品に化けるんだぜ!」というスタッフの心意気を感じるような感じないような。
しかし、今期はこの一本があればもう満足できそう。実際、いまは宇宙のステルヴィアの他にはなんとなく最後まで見とどけたくて切らずにいるWolf's Rainしか見てないですし。成恵の世界が入らないのもまあいい、我慢しよう、って気分。
4月20日
イースター。というわけで教会コンサートやってまいりました。
なんと、有名ピアニストの某さんが聴きにきてくださる。来るかも、とは聞かされていたものの、本当に来られるとは思ってなかったのでびっくり仰天。
昼食をともにしつつ話を。明晰な方なので話していてとても楽しい。私が
「自主規制」
と言うと、
「自主規制」
とのお言葉。……さすがにそこまで演出できませんって(笑)
そしていろいろと喜ばしい内容のメールまでいただいてしまい、これはちょっと人生の転機になりそうなくらいの出会いかもしれないような気がすると言うこともやぶさかではないという印象がないわけでもない。
・・・
検索で自分のページがトップになっているのは嬉しいものですが、こういうのはちょっと勘弁してください、ほんと。そういうんじゃないですから、ここは。
あと、これもどうかと思う。なんですかね、穂村弘さんが『アリス』の書評を書いていたからですかね、こういう検索で来られるというのは。
4月21日
昨日の日記についてご意見をいただき、確かに問題があったと思うのでその部分を削除させていただきました。ウェブ上の日記という公の場で、あのようなことは書くべきではなかったと反省しております。なぜあのような発言をするに至ったかについては言い訳がないわけではないのですが、それこそ公の場でする議論でもないのでメールで個人的に対応させていただきました。他にも読んで不快を感じられた方がおられましたら、謹んでお詫びさせていただきます。
・・・
ああ、だからなんなんだろう、つまりそれはこういうことなのかもしれない。
ぼくは、自分が本当に近しいと思える人以外には、まったく思いやりの心が働かない。
いや、ちょっと違うな。ある程度関わり合った相手に対しては、割と無条件に好感情を持つ方だと思うから。これを裏返せば、好感情を持てそうもない相手とはまったく関わりを持とうとしない、ということも言えると思う。
だとすれば、関わりのない人に対しては思いやりが働かない、か。たとえばこういうのはとてもぼくにはしっくり来るのだ。
でも、これは、確かにぼくの心に突き刺さる文章だった。なぜだろう、ぼくは彼とは会ったこともないし、いわんや彼の遠くに行ってしまった友人をや。
もしかしたら、かの無風地帯?さんの文章が「自分が近しいと思える人判定基準モニタ」を反応させる類の文章であっただけなのかもしれない。人を文章で判断する癖は、昔からあるから。文章を読んだだけで、こっちからは何らかの関わりを持ったつもりになっている。そういうことだろうか。
根拠のない、自分の「人を見る目」への自信、というのもあるのだろう。
でも、「自分がこれほど相手を好きなのだから、相手も好きでいてくれるはずだ」というような考えも、自分がする分にはそれほどの過ちに思えないというのは、きっと酷い罠なのに違いない。
4月22日
自ら設定した世界の解釈方法、あるいは価値基準を信じることは、それほどに難しいだろうか。この「自ら設定した」という部分を突き詰めて考えるとなかなか面倒だが、そこはあえて、既存の価値基準を採用することも「自ら設定すること」として捉えることにする。
既存の価値基準を採用するにしても、新しい価値基準を作り上げるにしても、理性がある限り何かを心底信じ込むのは難しいことだ。たとえば私は根っからの科学信奉者で、科学という世界理解の手法については「信じて」いると言って差し支えないだろうが、この「信じる」は人生における価値基準の採用とは何ら関係ない。科学は世界の有り様に漸近するが、そこには我々の精神活動の次元での「一人称的できごと」は含まれないからだ。
私は、私という意識を生かす根拠を探さなければならない。それが、世界の解釈方法を自ら設定するという行為である。
さて、この世には、真実というものが存在する。それはすなわち、科学的手法によって漸近されるべき世界記述理論だ。しかし、それとは別の創発的次元において新たな真実を作り上げることはできる。還元主義的な物理法則とは無関係な真理、冷徹な世界記述理論によって破壊されない真実だ。
このような真実を作り上げるのは難しくはない。たとえば、「毎朝ジョギングをする」ということを人生の至上命題として決めてしまう。そうしておいて、病気で死にかけている日にも「俺はジョギングをするのだ」と言い張って実際にジョギングをして死んでしまえばいい。
何かを信じることに先立って自ら「真実」を作り出しておけば良いのだ。信じないもなにも、自分が作り上げた「真実」の物語どおりに行動すれば、その「真実」は実現する。
しかし、せっかくの真実の物語も、誰かに共有してもらえないと――言い方を変えれば、「精神」という観測装置によって観測されぬかぎり――世界に対して示されたとは言えず、空しさは拭えないだろう。
だから、採用すべき最も単純な価値基準というのは「恋愛」なのだ。そう私は主張したい。(以下、諸般の事情により削除。どうでもいい内容だったので許して)
4月23日
歌科の子というのはよくわからない。結構今年は院試などで忙しいのに、頼み込まれてレッスンの伴奏につき合っている。ところが、彼女ときたら歌詞の意味すらわからずにレッスンにやってきていたのである。どうやってそれで音楽ができるのか、私にはサッパリわからない。当然、先生にはぼろくそに言われてレッスンが終わり、部屋を出たら
「やばいやばい、めっちゃ怒られちゃったー、てへ」
とくる。ぱきぽきと指を鳴らして「言いたいことはそれだけか」と凄んでやるシーンを、その先のスプラッタな展開まで含めて思い描いたが、俺は爽やか青年なのでそんなことはしない。
でもな、このウェブの片隅ではっきり言ってやろうじゃないか。こっちはな、授業のない日にわざわざあんたのために学校来てやってるんだぞ。やる気ないんだったら人に迷惑かけないでくれほんと。
・・・
結構がんばって書いたつもりの昨日の長文を読み返してみた。読む気がしないほどの駄文だった。なんだかがっくりだ。まあ、たかが日々の雑記なのだからそういうこともあるのだろう。
昨日は完全にネタのつもりで綴っていたが、実は半分くらいは本気が入ってたりするのかもしれない、という感想を抱いたり。
4月24日
歯医者の待合室にて。幼稚園の年少組くらいの女の子と母親の連れが入ってきた。どうやら治療を受けている兄を迎えに来たようだった。
しかし兄の治療はなかなか終わらず、女の子は備品のおもちゃをがちゃがちゃ言わせながら引っぱり出してきた。
ワニの大きくあけた口に手を突っ込んで歯を一本ずつ押し込んでゆくのだが、そのうちどれか一本を押した途端にワニが口を閉じるという、ロシアンルーレット的というか黒ヒゲ危機一髪的というかそんなおもちゃ。歯を押し込む、というあたりがいかにも歯医者らしくていいと思う。
ともかくそいつを引っぱり出してきた女の子は、母親を強引に参加させて遊び始めた。が、少々こわれかけだったと見えて、ワニは歯を押し込むのを待たずに口を閉じてしまうことを繰り返す。そんなんじゃ面白くない女の子は、問答無用で母親の手をワニに噛ませるという楽しい遊び方を発見した。
ガチャリ。プラスチック製のワニの口が母親の手を!
女の子「痛いって言って」
母親「い、痛い」
女の子「放してー、って言って」
母親「はなしてぇ」
女の子「はなさない。」
この「はなさない。」は、あまりに低くドスの利いた声で発せられたので、私は一瞬背筋の凍るような恐怖を感じた。
母親「、は、放してよ」
女の子「だめだよ」
どうしてこの子は、こんな小さな身体でこんなに低い声が出るのだろうか?
母親「……さっちゃん、もう少しかわいらしいしゃべり方してくれるかな?」
母親の気持ちが痛いほどよく分かって、私は笑いをこらえるのに必死であった。
4月25日
今月のSFマガジン
「ふむふむ、なるほどなるほど……。で、次号予告は、っと。……ほうほう、特集は『ぼくたちのサイエンス・フィクション(仮)』ですか。4人の20代作家が登場、とね。冲方丁、長谷敏司、元長柾木、吉川良太郎か。そうかー、ついに長谷氏もマガジンに登場かー。ふーん……」
そこでふと気づいた。
「ん? ん? 長谷敏司の次の名前って、これは……」
その瞬間の衝撃たるや、ブルータス、お前もか、なんてものじゃありませんよあなた。つまり、あれである。元長柾木、なのである。エロゲーのシナリオライターの彼である。ピュアガールで東浩紀氏と対談させられたりしていた彼である。
ついにこういう日が来たのかと。
……しかし、元長氏を呼ぶのなら、まずは涼元悠一氏を呼んでおくのが筋ではなかったのか。などと思わないでもない。
・・・
さて、内輪ネタ。教育実習の事前指導で母校、つまり東浩紀氏の母校でもあるところの学校まで行って来ました。
「えー、実習担当の鈴木です」
「えー、副校長の鈴木です」
「えー、教務部長の鈴木です」
の鈴木三連コンボにはかなり笑いました。
お世話になっていた生物の先生に挨拶に行ったのですが、SSHに指定されたせいで超多忙な生活を送っているそうです。生物の授業もさらなる充実がはかられているらしく、PCRの機械まで導入されていました。サザンブロッティング法の実験なんかもやったりするそうです。
ちなみに、生物部は大繁盛だそうです。中学1年なんか、学年の六分の一が生物部員だとか。
4月26日
アニメは録画して週末に、というのがパターン化してきた。
Wolf's Rain はそれぞれのキャラクターがいい感じで前に進み初めて、見続けていて良かったと思う。楽園の幻想やブルーの昔語りはレベルの高い作画と相まってなんだか涙腺がゆるみそう。やっぱりサントラは買うことにしようかなぁ。
宇宙のステルヴィアは、あらすじだけなら「オーバビスマシンの実技で落ちこぼれていた志麻が光太のアドバイスを受けて初めて成功」で済む話だが、その中にも少しずつ明らかになる過去やらそれぞれの思いやらが見事にちりばめられて、おっとそれだけじゃない、ギャグのテンションも相変わらず。毎週たのしみで仕方ない。
やっぱりリヴァイアスみたいなのは勘弁宇宙モノはこういう若さや希望に満ちてないといかんです!
4月27日
えーっと、元長氏は短編小説で登場、ということで。要するにジャンルの無効化・メディアに浸透するSFを読み解こう、という特集のようです。と補足情報を書いてみたり。
・・・
『年表で読む哲学・思想小事典』読了(と言うのかどうか、まあ一通り目を通した)。まともに哲学者の著作を読んでもいない私なわけで、短い思想解説だけじゃ良く知らない思想は全然わからないままですけど(笑)。
ひとつ気になったことをあげると、たとえばラッセル/ホワイトヘッドのプリンキピア・マテマティカなんかを取り上げているにも関わらず、その後の展開としてゲーデルだとかチューリングだとかは全然触れられていない、というのはどういうことなんでしょうか? 特に不完全性定理が及ぼした影響って相当なものだと思うんですけどね……。
4月28日
初夏を思わせるような燦々と照る太陽の下で、知人と一緒に暇つぶしのお茶をしてみたりする。
「わたし、男だったらもてたと思わない?」
と言われたので、いいや、とごく正直に答えた。お返しに
「俺、女だったらもてたと思わない?」
と言うと、ううん、ときっぱり返された。
「あんたみたいに理屈っぽい女の子いたらやだ」
と彼女は続けた。……そうですか。結構いけると思うんだけどなぁ。
・・・
とり・みき『猫田一金五郎の冒険』読了。おおかた初めて読んだのだが、すばらしいですな! とりさんにしては割に正統のギャグ漫画といった感じですが、その中にも彼ならではのぶっ飛んだ発想がてんこもり。「錯覚館の恐怖」の女性怪人なんてよくもまあこういう使い方を思いつくもんです。あと、「本人殺人事件」のイッカクがとっても可愛い。
京極夏彦氏との合作まんが、こいつも両者が実に楽しみながら合作した様子が伝わる傑作です。必読の一冊。
4月29日
わあ、インクレディブルマシーン! (V日記より) ちゃんと見られました。感動ー。
・・・
今日の検索ワード。ごめん、聞いたこともなかった。
4月30日
超人計画、完結。ひきこもりのダメ小説家が、いま日本でもっとも真摯な哲学者のひとりであるというのはまあ当然といえば当然か。間もなく刊行予定のようなので、のうのうと疑問も抱かずに生きる世の中のにーちゃんねーちゃんに読んで欲しいです。
しかし、私もネタにさせてもらった辻仁成のポエムをネタとして使っているのを見て大笑い。やっぱり面白いよなぁ、あれは。
・・・
秋山完『吹け、南の風3〜開戦への序曲〜』読了。信じられませんよ、こんな分厚いソノラマ文庫見たことないですよ。610ページもあるんです。で、「吹け、南の風」シリーズはこれで完結なんですが、完結編なのにサブタイトルは「開戦への序曲」。これから始まる「シリー・ウォーズ」が終結するまでに、いったいどれだけのページ数が費やされることか……。
「天使の顔をした悪魔」という役どころの「お嬢様」ジルーネ(こいつがほんと可愛いんだな)によって戦争へと転落してゆく人類宇宙。その戦争が、実は彼の今まで描いてきた世界の歴史の軸となってゆくわけです。悪とか、歴史の意味なんてものへの視点が強く感じられるようになって、逆に昔の作品にあったような郷愁やなんかは薄まってきていますけど。今回は戦闘シーンの描写が眼目ですね。
しかし、ひとつの宇宙史としてあまたのスペオペにまったくひけを取らないスケール観がいよいよ顕わになってきて、是非ともこのライフワークが完成することを祈りたいです。
最近は秋山瑞人氏の登場で「秋山先生」というと彼を指すことが多いですが、秋山完氏はまさに日本のラノベ界の巨匠ですよ。たとえば長谷敏司氏の作品が好きな人なんか、このシリーズ(ラストリーフの伝説からの、ね)は読破しておくべきじゃないかと。
あと、イラストの小菅久美さん、神ですよほんと。269ページのフレンの可憐さを見てください。萌え萌えです。
難点を言うと、いくらかはなりを潜めたとは言え、現代社会やオタク文化に軸足をおいた風刺やギャグは読んでいてなんかむずむずするので、ない方がいいと思うんですが……。
感想、憤激、おまえの正体は見破った等、もしよろしければこちらまで