■ 03年5月後半雑記 | Date: 2003-05-16 (Fri) |
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雑記
5月16日
最近、うちの飼い猫が変な癖をつけた。毎朝、人の枕元で大声を出す。以前から「おぅわぁぁう」「わぐぉおおおん」といったような妙に野太い声で、あるいはヨーデルのような激しい高低をつけて鳴くような奇怪な猫ではあった。
それを耳元で毎朝やられたのではたまらない。
そもそも、何の用があって鳴いているのだかこちらには全然わからないのだから、無視するしかない。いい加減そのことに気づいてくれればいいのに。
もう、かなりの歳なのだ。普通なら猫又になってもおかしくはない年齢だ。風格と知性、達観したような表情で静かに座る。そのような態度を、そろそろ示していただきたい。また、人語を解し操る、という能力も是非とも身につけていただきたい。
あ、でも明日は朝から合わせがあるんだったな。早起きしたい日には目覚まし代わりにちょうどいいかもしれない。教育実習が始まったら重宝するかもしれないな。
5月17日
今日はベートーヴェンのチェロソナタの合わせをしてきたし、靴も買いに行った。副科の管楽器の練習もしてみた。これを綴っている今は地震でぐらぐら家が揺れている。
だが、それらはどうにも日記に書いて公開するような内容ではないような気がする。
ちなみに、今の「内容ではないような」というのは意図した駄洒落ではない。
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セーラー服で一晩中(2)か。どうでもいいけど、しかし私は『きみを守るためにぼくは夢をみる』(白倉由美×新海誠)という謎の本は買うのだろうか。買ってしまうのかも知れないな。
大塚英志氏はなんだか「ほしのこえ」がお気に入りのようだったから、奥さんと仕事をするよう新海氏にねじこんだに違いない、などと考えようと思えば考えられなくもないのだろうが、どうなんだろう、多分そんなことはないのだろう。
しかし、白倉氏のヴィジョンはいつまでたっても同じなのだな。「君を守るために僕は夢を見る」というのは歌のタイトルでもある。「君を守るためにぼくは夢を見る」という氷上恭子さんが歌った曲もまた別にある。物語の中でも、同じ科白を見かけたような気がする。
キモイと言う人は多いだろうし、否定もしない・できないけれど。しかし、大塚氏のいう「ブンガク」じゃなくて、白倉氏の作品は内奥から出てきたものであることは確かで、だからこそ大塚氏は彼女を娶ったのだろうと思う。
両親に愛されなかったという思い、おおきくなりません、クマのぬいぐるみ。
共感できる場所なんかひとつもないはずなんだけどなぁ。なんで、どこかしら嫌いになれない部分があるのだろうか。
5月18日
ちょっとした舞台でも使える程度に立派なスーツしか持っていなかったもので、カジュアル気味なものを買おうと出かけました。
メンズプラザなんとやらに出向いて、半額セールのコーナーをうろつく。そうして発見に至ったのです。セール品しか見てない客には、店員は声を掛けない傾向にあるようですね。まあ、あまり店員についてこられるのは得意ではないのである意味うれしいくらいなのですが。
そんなこんなでビデオが見られなかったなー。二週ためるときついんですけどねぇ。今週は忙しいしなぁ。
5月19日
校門のある場所から長い坂道を見下ろしている、という夢を見ました。……こんな俺のことを憐れんでやってください。わかる人だけ。
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唐突な空しさの発作には抗いがたいので、独語の授業中、わかりきった従属の接続詞の配語法を説明する教師のことばを、毒虫がつぶつぶの卵を産み付けていくような感じだなぁと思ってきいていたりするのは仕方がないこと。ああ、この厭な感じの比喩は牧野修がどっかで書いていたのだったかな。きっとそうだろう。ボンタン飴のオブラートみたいな、しかもそれが全然溶けないものに変わってしまったような、そんなもので世界が覆われてしまって、届いたはずの鮮烈な手触りはどこにもない、もしかしたら世界はそんなボンタン飴のオブラートでしかないのであって中身は既に失われてしまっているのではないのか。
そんな時間、考えることはいつもひとつで、どうかぼくに世界がまるで違って見えるための魔法をかけてください、というのは比喩的な表現だけど、つまりそういうこと。いまとある後輩が必死で綴っている恥ずかしいネット日記の内容と、大差ないのである。
それでも、そのあとであった副科のレッスンに行ってみれば、先生の人柄や楽器を鳴らす喜びやらでとりあえずはひととき楽しく過ごせるのだから、まだまだ自分は結構だいじょうぶなんだろうと思うのです。
5月20日
らじさんの意見を読んだのですが、たとえば分裂病気質の家系というのも確かにあります。
また二卵性と一卵性の双生児を比較した調査などでも、ある程度は精神病にも遺伝の影響があるらしいという結果が出ていたように思います。
性格についても、遺伝によって基本的な傾向は定まっているという研究結果も出ています。実際、新奇探索傾向(冒険心といった類の性格ですね)の強さは、脳のある一種類のレセプターの構造によって決定されていることがはっきりわかっています。このレセプター遺伝子については、染色体上の位置も特定されています。
脳も遺伝情報に従って作られている以上、その機能の優劣が遺伝子によって左右されることは充分考えられる、というよりは当然なのではないでしょうか。
ただし、すべてが遺伝で決定されているというのは大きな間違いであるのは確かで、人は努力や向上心を忘れてはなりません。
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Dainack氏のように都市伝説が好きな人におすすめですね。このフラッシュ。(無風地帯?さんより)
5月21日
今日は梅雨の晴れ間。だと思うのだ。だってもう何日も雨で、そうでなくてもどんよりとした天気が続いていたのだから、これは梅雨入りしてるにちがいない。
実際、沖縄だって今日は晴れていたらしいのだ。その沖縄と、この関東の状況と、何ら違いはないはずだ。かたや梅雨の晴れ間、かたや季節はずれの長雨がようやく止んだところ、という区別をするのはいかがなものか。
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北野勇作動物図鑑「かえる」をぱらりとめくる。以前も読んだはずの「螺旋階段」の出だしなのだが、こんなに共感できる文章だっただろうか。それとも、ぼくが変わったのだろうか。
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えーと、CLAMP新連載、知世ちゃんはどこですか?
ま、彼女たちの作品はまともに読んじゃいないんでどんなネタが入ってるのやらどうせぼくにはサッパリわからないんですけどね(わかりたくもないけどさ)。
5月22日
今日はモーツァルトのハ短調ミサの合唱練習の伴奏をしてきました。はっきり言って、音符を追ってるだけで大変です。
「もりげ君、勝手に走らないで」
と再三再四の注意を賜る。情けない。
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電車に乗り込んだとき、後ろで激しい怒鳴り声がした。そういう場面に出くわすと、いつも少しだけいたたまれない気分になる。そこで俺は今回も「ああ、いたたまれないなぁ」と余裕の思考をかましていたのだが、なんとその罵声は俺を対象としたものだったのであったのだった!
その親爺が何を言ってるのかって、
「ばぁあろぅ!!! 本なんて読んでんじゃ、ぬぇええよ!!! ここぅわぁ、学っっ校、じゅぁああ、ぬぇえええんだからよぉう!!!」
と、言ってるのである。
折しも俺は『凶獣リヴァイアサン(上)』を読みながら、電車に並んでいたところなのであった。学校で読むような本なのだろうか、この『凶獣リヴァイアサン(上)』は。ちょっと想像してしまった。国語(あるいは生物、または現代社会、もしかしたら道徳)の授業で、40人の生徒がみんな『凶獣リヴァイアサン(上)』を手にして席に座っている。先生は山田祐輔を指名し、
「よぉし、じゃあ山田。その25ページ『モニターに映る一対のギラギラ光る緑の目が、ふたりをねめつけた』のところから読んでくれ」
と言うのだ。
なおも親爺は、額に黄色のタオルを巻き付け、裸電球のようなハゲをぴかぴか光らせながら、口角泡をとばしている。
俺は恐怖した、というよりは困り果てた。まず大声は迷惑である、と指摘し、こちらが貴君に何らかの障害を及ぼしたのであれば謝る、と発言すると、彼はなんだか途端に物わかりが良くなって「ああ、わかりゅぁあいいんだよ……おれもしつこくぁあ言わねぇさぁ」などとつぶやき、今度はそっぽを向いたまま「大体、混んでるんだからよぅ、迷惑なんだよぅ」と独り言のように同じ内容を繰り返し始めたのだった。
なんだかよく分からないが、みなさんも電車で本を読むときは黄色いタオルの鉢巻きをした親爺に気をつけてください。
5月23日
あー、SFマガジンですね。元長柾木氏「デイドリーム、鳥のように」……ちと忙しいもんでまだこれしか読んでません。
「わけのわからない空しさ」を一生懸命に分析してる作品、という雰囲気なのかな。
単語に振られた見慣れないルビとか、「機関」の成り立ちとか、何より主人公の能力であるとか、ついつい惹かれてしまう要素はいろいろとあるのだが、全体どこか中途半端な印象がないでもない。叙述上の仕掛けも、短編小説としての構造を強化するために援用されたようにしか見えなかったりする。
しかし、この設定、もっと突き詰めて連作として描いていったらそれはそれで面白い作品になりそうではあるなぁ。
で、「メディア別次世代型フィクション・ガイド」、全体的に微妙なチョイスなんですけど……。私もそう状況に詳しくはないので具体的にどうとは言えませんが、どうもしっくり来ない部分がある。まあ、SFマガジンにしては無理してるんだろうから仕方ないのかもしれません。
そういう全体的な微妙さとはベクトルが違うんですけど、ゲーム担当の尾之上氏のこのニトロプラスへの傾倒がありありなコメントは……。いいのか、これほどに自らの趣味でページ作って。
5月24日
昨日の補足なのですが、元長氏の短編については、やっぱり「田螺息子」に反応しておくべきだったんでしょうか(Sense off に、タニシマニアの少年が出てくるのです)。
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ハ短調ミサ練習2日目。この間よりはましな伴奏ができたと思うのですが、
「もりげ君、もうちょっと音小さく」
……まったくもって基本がなってない伴奏者ですね、もりげ君は。
ぼくはキリスト者ではない。合唱団の中にも恐らくキリスト者ではない人も混ざっているだろう。それでも、音楽をやっているあいだは神の栄光をたたえるつもりでやるのだし、そうすることに心地よさもある。
嘘だとわかった上でも、それが共通認識として機能しうるということのみを理由に、宗教という物語を、生きる上での信条に採用しうるだろうか。最近は、そういった行為もひとつの「意味」を持つことがあるのではないか、と考えたりする。それを信じる、と決めることによって「善」や「優しさ」といった、肯定すべき真実に近づけるのであれば。近づけるのであれば、ですよ。戦争の口実なんかに使うのは、なしですよ。
5月25日
今日もきょうとてミサの伴奏。やっぱりレベルの高いプロ集団と仕事をさせていただけるのは非常に勉強になるし、ありがたい。きっと(報酬とは別の意味で)得るものがある。
追いつきたい理想があるのなら、努力をすることだ。死ぬときにはやっぱり「我が人生に一片の悔いなし!」と言いたいものだ。もう無理だけど。
そういやあ、死にゆく祖母に向かってその科白を教えたという窪塚を思い出してしまった。うへっ。彼の婚約者とやらをテレビで拝見しましたが、お似合(r
5月27日
どうも、急な仕事などありまして昨日は更新できませんでした。あー、でも今は忙しいのも別に苦になりません。身近に「ああいう人」がいるとね、自分の多忙など屁でもないように思えてくる。
今日はミサのソリストとの合わせでした。やっぱり、高名な歌手さんだけあって声が美しいですよ……。
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『凶獣リヴァイアサン』読了。ハリウッド的アクション、キリスト教的崇高さ、信じがたいまでのアホさ、三拍子揃った怪作でした。どんな三拍子だ……。しかしねえ、6000度の火を吐くような怪物にですよ、戦斧のみを得物にタイマンはったりするんですよ? いくら2メートル40センチある北欧人とは言え、それはあんた無理。
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なんだか知りませんが、この検索ワードはなんなんでしょうか。
5月28日
我ながらこれは罪な言動だと思う。よもや自分がこういう立場になるとは……。まあいいかぁ、いざとなったら誠実な対応をする自信はありますから(謎)
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菅浩江『歌の翼に ピアノ教室は謎だらけ』読了。一流音大を首席で卒業しながらも、なぜか小さな楽器店の子供ピアノ教室で教師をしている主人公、亮子。ほんわかした彼女は、しかし実は明晰な頭脳の持ち主であり、またピアニストになれないある理由を隠しているらしかった……。そんな亮子が、小さな謎解きをしてゆく音楽ミステリな連作短編。
ああぁぁあ、菅節全開です。またまた泣かされました。何でもないような日々のできごとの中に、これほどまでに輝きの予感をはらませることのできる作家はそうそういない。決してきれい事ばかりの世界観ではないのですが、その内奥にあるのは完璧なまでの人間肯定的な視点。読み手は世界の美しさを新鮮な驚きとともに実感し、目を潤ませる以外ない。
ただ、以前『永遠の森 博物館惑星』を貸した大学の友人が「なんか背中がむずむずする」と言ったことがあって、この作品にもそんな感じがあることは否定できない。というかむしろ強いかもしれない。要するに、優等生的すぎるお話なのかもしれないなぁ。
もう一点あげると、ミステリとして成立させるための登場人物のあまりに突飛な行動の論理(わかりにくい謎かけで大切なメッセージを送ってみたりとか)がさすがにちょっと鼻につく。
あと、音楽をやっている身から言うと「ドビュッシーやモーツァルトのような、きらきらしくもロマン的な」などという文章には恐ろしく違和感を覚える、ということは指摘しておきたい。こういうことを書かれると、ああ、音楽がわかってないんだな、などと思ってしまう。
などと難癖つけたところで、私は菅さんの短編は本当に大好き。命を賭けた戦いも、運命的な恋愛も、愛する人の死も、そこには描かれない。それなのに、生きる意味が見えるような瞬間をふわりと描き出してくれる、そんなすばらしい作品です。
5月29日
あー、ちなみにアメフラシに噛まれて怪我したのは私です。
ついでに告白しておくと、ガラス棒をガスバーナーで溶かしてぐにゃぐにゃにした事件にも、マジックインキを並べて火を放って「マジックキャンドルだ!」と言って遊んでいた事件にも、メダカをイソギンチャクのエサにした事件にも、全部関わってます。
って、別にアメフラシに噛まれたのは悪事ではなかったか。
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こばげん氏の知り合いでもあるI氏が、バッハのドッペルコンチェルトのファーストをやるというので(というか昨日のレッスンでは伴奏につき合った)、授業が終わったあと急いで聴きにいったのだが、間に合わなかった。残念。そのあとのパガニーニのカルテット、チャイコの弦楽セレナーデだけ聴いてきた。はっきり言わせてもらうと、パガニーニのカルテットはちょっとどうかなと思う。
でも、公園内のホールで無料公開するコンサートというのは、なかなか素敵ではありませんか。今日も年輩のお客で超満員だったし。
5月30日
ああ、I氏は学生オケではずっとコンマスやってるんですよ。えらいんですよ、彼は。
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学校に、妖怪のようなおばあちゃんがやっている売店がある。これは生協の店とは別物であるらしいが、それ以外は何も判明していない。
実はこのばあちゃんは大学の作曲科出身であるらしい、などという噂話まである。既に故人となった超有名作曲家を、「ちゃん」づけで思い出話のネタにしたりするのだから、なんにせよただものでないのは確かだ。
ところで、この売店で楽譜を購入すると10%引きになる。というか、なるはずなのだが、実際はならない。
ばあちゃんが使用する電卓には、「本体+税」の場合は、本体価格×0.95という注意書きメモがセロテープで貼り付けてあって、それで計算しなければならないらしい。
明らかに奇妙なこの数式について、以前ばあちゃんを問いただしたところ、「教授さんがこうだと言ってこのメモも作ってくれた」というのであったから、ばあちゃんを責めるのは筋違いなのだろう。
ともかく、この売店とおばあちゃんは我が校七不思議のひとつです。
5月31日
今日はモーツァルトを聴きに。素晴らしかった。しかし、シンフォニックオーケストラでやるとさすがに合唱がちょっと負けてたなぁ。
それにしてもソプラノの森麻希さんはやっぱりすごい。
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そういえば小学生のころだったか、家の百科事典のテヅルモヅルの写真に魅入られていたことを思い出した。カラスウリの花が今でも好きなのは、あの体験が影響しているのだろうか?
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桜の季節に、とか言っておきながらようやくですか、イエスタデイをうたって連載再開。また3回くらいで終わるのか。
しかし湊くん、やってくれるじゃないですか。
つーか……そろそろケジメつけとかないといかんのだろうか。自己嫌悪中。普段の自己嫌悪とはだいぶん趣が違うなぁ。
あー、でも教育実習が先だ。生徒に顔向けできませんよ、こんなこと考えてるようでは。
感想、憤激、おまえの正体は見破った等、もしよろしければこちらまで