■ 03年6月前半雑記 | Date: 2003-06-01 (Sun) |
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雑記
6月1日
巣立ったばかりなのだろう、ちびの雀が追いかけっこをしてはしゃいでいるのを見た。午後になってくっきりと雲が浮かんだ空。この世界を見ているのがぼくだけでなければいいなと思った。
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明日から教育実習である。不安だ。この不安というのは、「ちゃんとできるだろうか」とかいうようなものではなくて、「取り返しのつかない失態を演じるのではないか」という漠然とした予感によってもたらされるものだ。
たとえば、朝は近年まれにみるほどの早起きをせねばならないのである。明日の朝、いつものようにふと目を覚ますと8時半だった、という瞬間を思い浮かべて欲しい。ただそれだけのことで、実習はすっかりおじゃんなのだ。頭が一瞬まっしろになり、そして動悸、顔面は一気に紅潮し、汗がだらだら流れてくるだろう。ああこわいこわい。
6月2日
まあ、ここで愚痴を書いたっていいんですけどね。まあいいや。教育実習初日。
とりあえず、男子校というのがいかに異様な環境であるかというのを改めて認識した……というより初めて気づいた、という感じ。しかし、母校でできるというのはなんともありがたい。先生方もあたたかいです。
林田氏と並んでセクシーの称号を与えられていた数学教師の方や、経済アナリストとしてテレビに出てきそうな社会の教師の方、それにSF雑誌の編集者の弟でもある地学教師の方などに本当にあたたかな言葉をかけていただいて、感謝感激雨霰。
しかし、先生というのは大変ですよね。たとえば、帰り際にふとエロゲー雑誌を立ち読みする、とかうっかり出来ないですよね。いや、俺はもともとそんなことはしないけど!
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お返し画像。イソギンチャク状になって、しかもその触手が一本ずつ引き抜けるという、そんなイボができた人のお話です。
6月4日
わけのわからないこだわりを持つ人間というのはいるが、それには「わけわからんけどやたらとかっこいい」こだわりと、「わけがわからなくて見てるとげんなりする」こだわりとがあるような気がするんだな。
まあ、私は教わる立場ですからおとなしく聞きますけどね。
校内合唱祭の自由曲に「なぎさの地球」を選んでいるクラスがふたつばかりある。高校生の音楽はクラス授業でないので、指導することができず残念。昨年、ラジオで耳にして以来気に入っているのです。なかなかの名曲。
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いや、これはヤヴァイでしょう。ドイツのフォークリフトの教習用ビデオだそうですが(ネタもと:読冊日記さん)。
6月5日
の、のどが……。風邪としか思えない。まずい。
マニアックな授業をしてみた。指導教諭に「大学の講義みたいだった」と評された。あの学校の生徒にはそれもありかと思う。しかし、2コマ授業でしゃべりっぱなしはきついですね。
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生徒に、「視聴覚系ですか?」(つまり、おんどりゃオタクけ? という意味ですね)と質問された。いったいぜんたいどうしてそんな失敬な考えを持つのだろうか。
6月6日
アーイダダアーイダーアーイダダアーイダー ヴォールガーヴォールガーマティリェーカー! エーイウッフニェム! エーイウッフニェム!
なつかすぃー。>ヴォルガの舟歌
のどの痛みをおして歌の指導してきましたよ……。自分の助言で音楽が良くなるのは本当に嬉しい。高校時代も音楽的な問題にこれだけ確信を持って主張ができていたらなぁ……。
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さいたまさいたま言うのはやめてください、うちの学校のリア厨よ。
6月7日
どう考えたって、もっと充実した時間の過ごし方ができただろう、そんな一日を終えようとしている夜に、日記に書くことさえなくて窓の外を見てみる。夜は特に自己主張が激しい乱視のせいで、分裂したように見える街灯。それらは遠近法に従って綺麗に並び、ぽつぽつと道を白く照らしているけれど、その道には人っ子ひとりいない。だから街灯から飛び出したフォトンたちは何か特別な出来事に遭遇することもなく、アスファルトにぶつかっては跳ね返り、ぼくの部屋の窓にもこうしてぞくぞく飛び込んで来続けている。
ああ、別に嬉しいことがなかったわけじゃないんだ。ある結果が封書で送られてきて、その結果が逆だったら今ごろぼくは大方かなり落ち込んでいるか、あるいは落ち込んでいない様子を装うために普段よりさらにこの世の全てに無感動な人間となっているだろう。だから、それは良かったんだ。
あしたこそは、もっと頑張ろう。毎日の、寝る前のお祈り。
6月8日
ちゃっちゃと短い三声の曲を書いてみた。数時間で作ったものなので、かなり適当なメロディだし、対位法的にも連続5度という禁則を指摘されたらちょっと言い逃れしづらい部分があったりする(対位法というのは曲作りのルールの一つで、連続5度というのは反則なんです)。
けど、なんだかそんなガラクタであっても、自分で完成させたのだと考えると妙に愛着がわいてしまう。ピアノで弾きながらひとりほくそ笑んでいた。
ちなみに、実習で使うつもりなのです。生徒に歌わせようかと。
6月9日
古文の実習生。指導教諭Fに見放されたとぼやいていた彼。土曜日には警視庁の採用試験の2次面接を受けてきたという彼。小学生の頃から、好きなテレビ番組を尋ねられると「ニュース23」と答えていたという彼。
そんな彼が、控え室でMDを聴きながらノリノリで歌を口ずさんでいた。また指導教諭Fといたたまれない時間を過ごしてきたので、現実逃避をしていたのだと本人の弁。
ところで、自慢じゃないが、ぼくはポップスはまるで知らない、オリコンで1位の曲だったとしたって知らないだろうとも。でも、今日のぼくは違った。彼が口ずさんでいる曲が一発でわかった。オリコン初登場15位を記録した曲だったってことは、今ネットで検索して初めて知ったことだけど、でもぼくはその歌を良く知っていた。すごい! ぼくも捨てたもんじゃない。ポップスの知識もゼロではなかったらしい!
その曲のタイトルとは……
「明日への brilliant road」
……ステルヴィアの主題歌じゃないですか、国語科のおっさんよ。
ああ、彼が歌っている曲を認識した瞬間、なんだか「嬉しい」に似た感情が起こったのが自分でも実に腹立たしいですよ。彼のMDにはラーゼPONの主題歌だとかステルヴィアの主題歌だとかなんかそんなもんばっか入っているようだった。世の中、案外そんなもんだ。
6月10日
合唱で「なごり雪」を歌うクラスがある。泣けますよね、この曲。「去年よりずっときれいになった」というリフレイン。その一見なんでもないほめ言葉のような一節に、別れを迎えたそのときになって初めて、自分の一番大切な部分を占めていたのが「君」であったことに気づいてしまった「ぼく」の心情が、痛いほどに表されている。
しかしですね、ちょっと気になったんですよ。「なごり雪」の舞台設定は東京です。「君」は、東京を離れていま田舎に帰るところなんですね。ぼくはずっと「君」というのは高校卒業を迎えた年頃かと思っていたのですが、これだと田舎の駅を舞台に上京する「君」を見送る設定の方が自然です。
ということは、「君」は大学卒業し、地元で就職するために帰っていく、というパターンの方がしっくりくるように思えます。
……とすると、少なくとも22にもなる女性に向かって(会ったときは18くらいだったのでしょうか)、「幼い君も大人になることを失念していた」というのはいささか礼を失するのではないか。そう思うのです。
どうなんでしょうか、その辺り。「なごり雪」の「君」の年齢について何かご存じの方、情報お待ちしております。
6月12日
懐かしい相手と話をした。昼時に、実習先の高校までわざわざぼくを訪ねてくれたのは、生物部の後輩だったI。生物学の研究者への道を歩む大学1年生の彼は、学部生のうちに"Nature"に論文を載せることを夢みている。そのくらいしておけば、将来留学したときには相当よい待遇が期待できる、と。
スクーバやバードウォッチングに親しみ、そして研究所を巡る、充実した学生生活をスタートさせているらしい。
放課後には、お茶をしながらしゃべった。中学受験の塾から一緒だったYと。彼は高校の後輩らを集めて数学のセミナーを定期的に開いているそうで、今日もそれでうちの学校まで出向いていたのだ。
数学はまた生物とはわけが違って、学部で学ぶことは数学者たちの興味の対象である世界のとば口に過ぎないそうだ。彼は、院に行って勉強を続けると言っていた。
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世界の中心に向かう道はいくらでもあって、もしかしたら世界の中心とはローマのような場所をさすのかもしれない。全ての道が通じているところ。
でも、目指して歩いていても迷うばかり。ぼくらがふと振り向いたとき、そこには残してきた足跡がくっきりと続いている。そして、その先に目を凝らしているうちに気づくのだ。ああ、いつだって世界の中心はそこにあったのだ、と。
うん、良くわからない文章。
Yとはもっと話すべきことがあったのではなかったか。名前しかしらないくせに「カラビ=ヤウ多様体」なんて用語を持ち出す前に、塾でぼくらと一緒だったSの話でもするべきではなかったか。彼とはつい先日、合唱の練習ピアニストをした帰りに車で送ってもらいながら、横顔が平行四辺形だった国語の先生や、エロ松と呼ばれていた算数の先生のことを話題にしたところだったのだから。そんなことを、Yと別れてからちょっと考えたけれど、やっぱり思い直した。それをわざわざ話題にするのも、なんだかばかみたいな気がするから。
彼とは一時期話しづらく感じていたような気がするけれど、なんでだったのかもよくわからなくなっていた。それはぼくたちが何かを見つけたからかもしれないし、何かを忘れたからかもしれない。いずれにしろ、それは悪いことじゃないはずだ。
だけど、今度Sを大学で見かけたときには忘れずに、Yと会ったよ、と話してみよう。Sはきっと笑顔を見せるだろう。遠い日々の思い出でしかなくても。もしかしたらそんな瞬間には、耳元でけものの声が聞こえるかもしれない。愛とやらを叫ぶけものの声が。
6月14日
血液の半分をアセトアルデヒドの分子が占めているに違いない、と思えるような状況で帰宅したため、昨日は更新できませんでした。
ともかく実習は終わったわけで(実はまだ残っている作業があるのだが)、それなりに充実感というのもあります。
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これほど違和感のある性格診断は初めてです。(↓結果)現代社会に殖えつつあるタイプと云う事が出来ます。人生観や価値観が刹那的になって、我慢や辛抱を嫌がり、自からの欲望を充足する事にのみ夢中になりますので、自分は一体何者なのか、本当の生きて行く目的は何なのか、と云うような哲学的な課題が、すっかり忘れられて仕舞っています。理想とか信念が特別に有る訳でもなく、社会的には平凡志向なのですが、個性的に生きたいと云う願望だけは大きく脹らんで居て、マイペースこそ生き甲斐で有ると考えています。従って、自由奔放と気儘さが目立ちます。
6月15日
NHKで、ハンナ・チャンがプロコのチェロソナタを弾いている様子を何気なく見ていた。と、ハンナの頬に涙が伝っている。……演奏会で泣くというのはどうなんだろうか。演歌歌手じゃあるまいし、ちょっとみっともない気もする。
俺自身、練習中に泣いた曲はあるけど。ベートーヴェンの作品110のソナタ、ブラームスの作品118の6つの小品など。しかし、本番で泣けるというのはある意味すごい。たとえばあの悪名高きカラヤンなんかは、演奏者は常に冷静で、聴衆だけを興奮させるのが一流だ、と言っていたらしいが、その辺どうなんだろうか。俺もかなり自分が興奮する性質なんで、カラヤンに賛成というわけでもないけど。
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ようやく録ってあったステルヴィアを見た。初佳がついにやってしまったとか、次回予告のアレとか、まあいろいろ騒がれたのもわかりますが、個人的にはオープニング前にちらっと出ていた"Cosmic String"の文字がいちばん気になったり。どーすんですか、宇宙ひも……。
感想、憤激、おまえの正体は見破った等、もしよろしければこちらまで