■ 03年6月後半雑記 | Date: 2003-06-16 (Mon) |
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雑記
6月16日
ずっと歯に張り付けてあった矯正治療の装置を、今日めでたくはずしてきた。歯の表面がつるつるしている。何にも付いてない。でこぼこした金属片も、ねじくれた針金も、さらに細い針金の結び目も、何にもない。
不安だ。
口の中というのはこんなにシンプルな造形をしていたのだろうか?
などと思いつつ。ま、今後も着脱可能な装置はずっと使っていかねばならないんだけどね。
・・・
目指してきた舞台を、持病のせいで断念せざるを得ないようなこともある(その話を聞いて、「病弱属性だったのか」ということばが頭に浮かんだ自分は死んでいい)。幸いぼくは健康体なので、つべこべ言わずに良い舞台を作っていきたいものです。ついでに、あの子も早く良くなりますように。
6月17日
えーっと(目を泳がせながら)。あちこちこの要求メール届いてるっぽいですねぇ。まさかうちにも来てたのか? こっから飛んだ人なんてほとんどいないだろうから大丈夫だよなぁ。しかし日本語タイトルのメール以外ほとんど確認せずに削除してるからなぁ……。こばげんさん、大丈夫でしたか? とりあえずリンクはずした方がいいのかなぁ。
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立ち読みさせてくれない本屋なんて嫌いだ。ちくしょう。
6月18日
複数の知人が出演しているコンサートを聴いてきた。良い演奏あり、そうでない演奏もまたあり。
ある人は、一昨日譜読みが終わったばかりだ、と言いながらもそれなりにまとめていた。本当にすごいと思う。すごいと思うけど、どうなんだろう、それって。
頭脳明晰な人なので、突貫工事で仕上げたとは思えない的確な演奏をする。はっきり言って好みではある。けど、音楽としての表現にはほど遠かった気もする。
ぼくらが音楽をやるわけというのはなんだろう。頑張ったことを評価してもらうため、ではない。練習時間が短かったかどうかなんて、聴いている人には関係ないのだ。
ぼくは聴く人に何かが届く演奏、魂が震えるような演奏、それが理想だと思ってはいる。たとえば、映画のクライマックスで使えそうなくらいの、何か奇跡が起こるような舞台。そんなものを幻視してみたりする。突貫でなんとか仕上げたんでは、そこに辿り着くのは絶対に無理だ。
その人は前向きで、頑張り屋で、そういう意味でいつもぼくの道標だ。実力もあるしね。だから、その人には舞台で奇跡を起こして欲しいと思っているのだ。それができる人なのに。がむしゃらに自転車操業するばかりが人生じゃないのに。
でも、良く分からない。その人が目指しているのはそんな舞台じゃないのかもしれない。じゃあ他にどんな目指すべき舞台があるんだ、と言われると、ぼくにはとんと思いつけないんだけど。
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それより、ヴァイオリンの伴奏で出演していた友人Sに、帰りは車で送ってもらった。そのヴァイオリンの演奏が、今日の舞台でいちばん楽しかったように思う。フランクのソナタも良かったし、おまけみたいに弾いたクライスラーのシンコペーションは最高だった。Sのピアノもなかなか良かった。彼も先週まで教育実習だったのだから、それも偉いことだ。
ちなみに彼こそ、12日の雑記で書いたYとの共通の友人Sである。Yと会った話をしようと思っていたのに、そのことはすっかり抜けていた。車の中では、音楽やら院試やらの話ばかりしていた。あんなに感傷的な文章を書いてそれを誓っていたのに。所詮ぼくはその程度の人間である。
6月19日
冲方丁『マルドゥック・スクランブル The First Compression―圧縮』読了。というか、名前は変換できないはタイトルは長いわ、V林田日記さんからコピペしてしまいました(『』だけは直したけど)。うちの父なんか、著者名みて「おきほうてい?」とか言ってましたからね。沖じゃないっつうに。
マルドゥック・シティの全体像が目に浮かんでこないのがちょっと不満ですけど、単純なプロットながら問題意識をうまく盛り込んで読ませる筆致は見事。アクションシーンに手に汗握りながら読めばそれだけで自然とテーマも胸に響いてきます。
しかし、こういう作品にすらおばかを求める林田氏はちょっとどうか。マガジンのもあほらしくはあったがおばかとはだいぶ違うと思うしなぁ。どちらかと言えば、武器のレーゾンデートルだとか少女のトラウマだとか、重いテーマに挑んだ真面目な作品ですのでみなさんお間違えなきよう。まあ、主眼はアクション描写なんで楽しめればオッケーですけど。
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そういや『撲殺天使ドクロちゃん』ちらっと立ち読みましたよ。まったく読んだことなかったんですね、実は。
……なんじゃこりゃ。出版界の七不思議として残りそうな作品ですね。
「って、ど、どうしてエスカリボルグを大上段にふりかぶってるんですか、ドクロちゃん。そのとびきりの笑顔は一体なに? ああああああぁ、ちょっと待っ――」
ぴぴるぴるぴるぴぴるぴー♪
6月20日
その女性がホームへの階段を駆け登ってきたときには、すでに発車のベルは鳴り終わっていた。
「すみませんっ」
彼女はそう言うなり、人を押しのけるようにして電車のドアに向かう。しかし
「ドアしまりまーす」
無情にもアナウンスは響き渡り、ドアは彼女の目の前で今まさに閉まらんとしており、彼女もそれを察して歩調をゆるめたかに思えたそのとき!
彼女は信じがたい行動に出た。25センチ、20センチ、15センチ……もうあとコンマ数秒で閉じようかというその隙間に、彼女は無造作に右手を差し入れたのだ。プシュー、という油圧の音。挟まれる女性の手首。
彼女は平然と車掌のいるであろう電車の後方を振り返り、あら、わたしの手が挟まっているわよ、このままじゃ発車できないわよねぇ、そうでしょう車掌さん、と言いたげな表情を作ってみせたのだった。
なんと強引な乗り方。
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Y氏とともに、母校の行事であるクラス対抗合唱コンクールを聴きに行ってました。自らが教えた生徒たちが舞台にのるというのは、けっこう緊張したりするもんです。
しかし高校3年の合唱は、下の学年とはやはり迫力が違う。人間的な成長がそのまま表れているようにも思えますね。
私が高校3年のときのクラスで歌った曲を選んでいたクラスがありました。その曲のピアノパートは私が書いたものだったのですが、審査員の評で「伴奏が目立ちすぎ」と批判されていたのはショックでした。まあ、自分専用に書いたピアノパートだったので、他人が弾いてそうそうまともに聞こえるわけないのはわかってたんですけど。
6月21日
ああ、つまりそれは「ためらわないこと」ですね。人がしているのを見るとと応援したくなるものだ。
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auは、迷惑メール対策でCメール同報サービスの停止を行いました。しかし、そんなことおかまいなしにいまだあやしげな広告メールはやってきます。今日のは実にふるっていた。
快楽の扉を今ココで開こうよ。。。淫らな女性発生中
発生中ってあんた、ボウフラじゃあるまいし……。
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ステルヴィアよーやく見ましたよ。光太はああ見えて自信家さんなんですね。いいですねぇ、悩みなんかあんまりなさそうだよね! ……自分でも何に憤っているのかよくわからないが、要するにキャラの深みがなさすぎだろ、この話。初佳とやよいにしたってなぁ。結局、描写が少ないサブの連中の方がいきいきして見えてしまうのは問題ですよ、絶対。
それより、宇宙ひもまだー?
6月22日
家から一歩も出ず、特に面白い本を読むわけでもなく、なんにも起こらずに過ごした一日なので、書くことがない。
困ったので、ドーナッツPの検索窓に「ぐるんげ」と入れてぐぐってみた(ぐるんげの検索結果)。トップでヒットしているページの謎の文字配列が何を示しているのか、私の腐りきった脳はまったく理解してくれず、鬱屈した気分が助長されただけだった。
こんなことなら1000000人のキャンドルナイトに参加して、ろうそくの炎を見ながら瞑想の修行でもしていればよかった。
こうも蒸し暑いと脳に黴がくるので困る。
6月23日
週刊少年ジャンプの『Mr. Fullswing』の中に、「セーラーエンジェルどくろ」(この「どくろ」にはなんだか奇怪な当て字がしてあったが、失念)というのが出てきていたが、これはやはり撲殺天使をイメージしてのものなのだろうか。
というか、このマンガよく連載続いてるなぁと感心しているのだ、ぼくは。先日の最終回ネタのときも、普通に「ああ、ようやく終わったのか」と完璧に信じ込まされたくらいだし。
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友人が、自分のリサイタルのチラシをくれた。写真の笑顔が不気味だったので正直にそう言うと、「もともと笑ってなかったのを写真屋の趣味で修正された」と困ったような顔で教えてくれた。言われてみれば、そのチラシの写真にはだいぶ修正が入っているようで、なんだか彼のお肌が妙につるつるに写っているのは笑えた。
デジタル加工技術の進歩で、写真なんてものは大抵はどこか手を加えられていると考えた方が良いのかも知れないなぁ。
6月24日
空いた時間があったので、ばったり会った友人女性とミルクセーキを飲みながら話。だめだ、今の俺には人の話を聞いてやる余裕がまったくない。
だめだ、だめなんだ、こんなんじゃ。努力すれば前進できるという確証がほしい。そうすれば血のにじむ努力だってできるのに。
……というような、甘えた思考が頭の中を回ったりする今日この頃。
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井上剛『死なないで』読了。井上氏は『マーブル騒動記』の方。この作品は、端的に言ってしまえば「病院モノ」ですね。病院モノのツボはしっかり押さえてあって、不治の病で入院している小学生の女の子とその母親、などというキャラクターも登場します。コニー・ウィリスの『航路』を見ても、D.O.の『加奈〜いもうと』を見ても、まあ知り合いになる入院患者といえば幼い少女ということになっているらしい。
閑話休題。この作品のちょっと違うところは、主人公は女子大生なんですが、指を差すだけで生き物を(もちろん人間も)殺せるというサイキッカー。んでもって、死にかけで入院している母親のことを憎んでいて、「病気なんかで死なせない、あなたは私が殺すんだから!」という強い決意のもとに看病をするんですね。殺伐としてますね。
しかし、まぁ想像はつくでしょうが、殺伐のままで終わる話じゃありませんのでご安心を。
気になったのが、この主人公の両親への憎悪が少々不自然に強く描かれていること。ここまで激しい憎しみを抱き続けられるものなのだろうか。そもそも、両親の人間性への無理解がどうしてこうまで徹底しているのか、読んでいてわざとらしさを感じずにはいられない。
最終シーンでのカタルシスを描きたかったという作者の意図は酌みますし、実際に「感涙の」という帯の形容は、この作品に限っては嘘ではありません。もうちっと主人公を魅力的に描いてくれてたらなぁ、とは思いますけどね。
6月25日
今月のSFマガジン
個人的に読み所満載な今月号。まず特集の「リアリティ・クライシスの行方」というタイトルがびびんと琴線に触れてきます。で、その特集として載ってるの短編がスターリング、スティーヴンスン、イーガン、オリアリー、ストロスという豪華メンバー(ごめんなさい、ストロスの名前は初めて知りました)。まだイーガンの「決断者」しか読んでませんが、「自己」による意志決定という幻想(幻想なのですよ)を完膚無きまでに叩きつぶす手腕には万歳三唱したい。
特集関係の評論には、東浩紀センパイが登場。以前彼のことをDQNだと断言してしまいましたが、イーガンの視点を「計算一元論」と位置づけて、我々の世界認識の新たな階梯の第一歩であると論ずるこの評論はなかなか良いと思います。ディックと比較するという手段がどれだけ適当であるかは置いておくことにして。もしかしたらイーガンという作家が、論考対象としてあまりに良い素材であることにこそ、この評論のおもしろさの要因があるのかもしれませんけどね。
小川一水「老ヴォールの惑星」は異星生命体に関する割とハードな作品。「巨大灼熱惑星」とか言われてる類の巨大ガス惑星のひとつが舞台ですな。なんというか、もう少し異星生命の生態や思考パターンに関して工夫のしようがあったような気がするのですが……。でも、異星生命ものの一編としてコレクションに加えたくなるような作品であることは確か。
そして、読んだ中で一番印象に残ったのが何って、友成純一さんの連載「人間廃業宣言」なんですけど……。まずいですよ。実は牧野修さんがネタで書いたものでした、というお詫びが次号に載ってくれたら安心します、というくらいまずい。雑誌に書く内容ではない、というかウェブ日記にすら書かないくらいの内容ですよ、普通は。どうか回復されますよう。
6月26日
とある業界関係者の方と引き合わせてもらった。ついでに、フランス料理のコースを奢って貰った。うれしい。いや、引き合わせてもらったことが、ですよ?
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もしかしたら、今本気を出したなら、本当に夢を追う若者になれるのかもしれない。そういうストーリーに乗ってみるのも悪くない。あと必要なのは、自信というやつか。
6月27日
「人生は夢と同じものでできていて、夢と同じ場所へ還っていく」とかなんとか、シェイクスピアの『テンペスト』にあったことばだと思う。作中でもっとも意味深長な科白で、それこそがテーマだと言ってもきっと間違いじゃないんではないか。
ベートーヴェンに「テンペスト」と呼ばれるピアノソナタがあって、これはベートーヴェンがこのソナタの弾き方について弟子に質問されたときに「シェイクスピアのテンペストを読みなさい」とだけ答えた、というエピソードから来ているものだ。実は、この科白は「テンペスト」ではなくて「熱情」ソナタについて言われたものだ、という意見もある。個人的には「熱情」こそがテンペストの主題に共通する心理を持っているのではないか、と考えたい。
ちなみに、これもごく個人的な意見だが、ベートーヴェンの最後のソナタである32番は、「熱情」の語り直しではないかと思っている。32番の第1楽章は、熱情の第1,3楽章と非常に共通する性格を持っている。そして両曲とも、第2楽章はだんだんとリズムが細分化されていく形式の変奏曲になっている。これも共通する点だ。
32番はこの第2楽章の、果てしない浄化と遙かな高みに至る願い、そして沈黙をもって曲が終わってしまう。ちなみに、2楽章でソナタが終わるというのはどちらかと言えば珍しい。これに対して「熱情」は、2楽章から続いて演奏される荒れ狂う激情の3楽章が曲を締めくくる。
シェイクスピアの『テンペスト』について、ベートーヴェンがより深い理解をした結果、「熱情」から「32番」へと曲の表現も進化を遂げた。そんなふうに解釈してみるのもおもしろいのではないかと思う。32番の第2楽章の恐怖さえ覚えるほどの圧倒的な美しさは、まさに人生そのものの絵姿だ。沈黙をもって終わるラストは、まさに夢と同じ場所へと還った瞬間だろう。
要するに、何が言いたいかって、つまり人生は夢と同じなんだ、と。スペースカウボーイのスパイクさんも確かそう言ってたじゃないですか。
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ステルヴィア、やっぱり晶がいちばん萌えるよなぁ……。
6月28日
猫は一日、わたしのベッドの上で寝る以外なにもしない。気楽でうらやましい。こちらは全然気楽ではないのだ。
わたしの懸案事項はいま大きく分けて3つあって、そのうちのふたつは関連している(少なくとも自分の中では)上に、自力でなんとかしなくてはならない。最後のひとつは自力ではどうしようもないので、修羅場を迎えているらしい涼元悠一さまにお願いすることにしよう。なんでこの時期になっていまだシナリオを書いているのか謎なのだが。ぼくは「恋心」好きですから、麻枝さんどうか気を確かに頑張ってください。別に今年中に出なくたっていっこうに構いませんから。
小さくまとまっちゃってないかが心配ですよ……。
6月29日
郵便受けの新聞を取りに行くことすら親任せで、また今日も一歩も外へ出ない日。それでも時間は足りない。フーガを書こうと思っていたのにやらずじまいだったし。
さすがに運動不足が気になるこのごろだけれど。
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MO(マジック・オンライン)をアンインスコした。いや、これを書いている時点ではまだしていないが、ここに書いてしまえば実現せざるを得ないだろうからこう書く。堕落の芽は摘んでおくに越したことはない。
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やっぱり他のエンジンに比べてgoogleは便利。昨日は落ちていたようで困りました。
6月30日
副科の管楽器の先生が、菅野洋子(よう子)さんの曲を演奏していたりするもので、レッスンのおりにちょっと菅野氏について尋ねてみた。「いやぁ、彼女はアニメやらの業界の人ですよ」という程度の答えしかもらえなかったことはいいとして、質問時の俺の発言が問題。「いやぁ、むかし友人にCDを借りて凄い作曲家がいるもんだと思って……」って、何を言ってるのかねぇ、君は。思いっきりアニメサントラいくつも手元にあるじゃないですか。今もWolf's Rainを見てるじゃないですか。大学入試の朝には坂本真綾の「プラチナ」を聴いてから出かけたのは誰ですか。
まあ、厳密に言えば嘘ではないんですけどね、先の発言は。最初に認識したのはこばげん氏に貸してもらったときだし。
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友達3万人集めたいんです。(c)巳間兎季子 ――というくらいの気持ち。少しずつの応援でも、合わされば力強く背中を押してくれるだろうから。
感想、憤激、おまえの正体は見破った等、もしよろしければこちらまで