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もりげレビュー


  04年4月前半雑記 Date: 2004-04-03 (Sat) 

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雑記

4月2日
 ふつかもさぼってしまいました。ごめんなさい。

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 高校時代の同級生の知り合いだという人と、所謂「春、出会いの季節」というやつで出会った。話していたら、なんだか高校の同級生くんはその人に向かってぼくのことを「けっこう怖いヤツだから気をつけて」とか吹き込んでくれていたらしい。なんだそりゃ。あんまりだ。

・・・
 昨日、来てくださった方ありがとうございました!
 舞台の後かたづけなど済ませてから(楽器運んだレンタカー返すのにあいているガソリンスタンド探し回ったりとか――結局見つからなくて追加料金)打ち上げ参加、やっぱりカレーにはラッシーだよね、などとわしわし飲み食いまくっていたら夜中の1時。夜半からの大雨もまた気分良く受け止められるくらい、充足感がありました。いや、胃だけじゃなくてね。

 今回のは脇役参加だったわけですが、しかしなんだか「高校の文化祭」みたいなノリがあって、むちゃくちゃ楽しみました。少々の失敗とかどうでもいいくらいに。たぶんその空気はお客様にも伝わったに違いない。またやりたいなあ、こういうの。しかし、中心人物の人望があってこそですねえ。ぼくが人集めようと思ったってああはいかない。

・・・
 どうもこういった熱い青春的(うわっ)喜びを味わいたい気分なのが今日このごろ。エイプリルフールネタとかがまるきり楽しめないのはその裏返しかもしれません。……ほんとかな。箸が転げてもおかしいのが真の青春的気分だろうに。もはや遠い遠い過去となりはててしまったな。

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 私信。使わせてもらったりしてます。リファとか見ても、結構ほかにも人数いると思われます。公開のままでいてくださるとありがたい。自分で作るのがめんどいだけという駄目な人間ですみません。

4月3日
 ああ。絢爛舞踏祭というのは火星モノだったのか。不覚。アヴェンジャーなどという大変つまら作品まで見たほど火星ファンを自認しているのに見逃してしまった。
 てか、自分がプレイできないであろう原作(と呼んでいいのか)がある作品って、なんとなくチェックしづらい部分がある。ってのも変なこだわりなのかしらん。

 そういえば天野こずえの『ARIA』も2巻以降買ってなかったな……いかんいかん。

 ちうか火星計画DVDを買わなきゃ。

 ちうか『ブルー・マーズ』早く出して〜!!!

4月4日
 こばげんが新しいパソコンを持って、雨の中やってきてくれた。ついにこの私もWin98から脱却を果たしたのだ。速い! 快適! 最高! 本当にありがとうございました。

 そんなこんなで環境整備に精を出して、気づいたら火の鳥も見逃していた。一応チェックしとこうと思ってたのに……。今期は見逃しばかりだな。ケロロとか。でもね、昔とある場所でケロロの役は岩男潤子がやってたんだよ! 岩男じゃないケロロなんていらないやい!

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 携帯にCメールで質問が届いたけど、署名がなくて誰なんだかわからない。だから返事のしようがない。自分は何も悪くないのに、とても申し訳ない気持ちになる。新手の嫌がらせか、というような被害妄想までわいてくる。

 ねえ、君が悪いんだよ。本当は返信してあげたいけど、君が誰なんだかぜんぜん見当もつかないんだ。だから「わたしの質問を無視するなんて冷たい人!」なんて言って泣くのは筋違いだし、「ふん、人の質問に答えもしないなんて無礼な男ね」なんて言って軽蔑するのも筋違いだし、まして「ゆるさない。コロス」とかはマジ勘弁。

 ……その後、ぶじEメールの方でもう一度質問してくれたのでようやく正体がわかった。答えはもちろんEメールで出したけど、その反応はまたCメールで返ってきた。……Cメールがそんなに好きなのか? 全角50文字制限で送信に3円もかかるというのに。あ、でもこっちの受信が0円だからってんで気を使ってこっちで送ってるのだろうか。世の中には不思議がいっぱい。

4月5日
 松岡修造に叱られてみたい。

・・・
 さっきまで西日に照らされていた遠いビルの壁と同じ色をして、いつのまにやら丸い月が出ている。

 低いところにある間、月は絶対に本当に大きいんだ、と言い張って地団太を踏む、とか。そういうことをしてみたいのだった。

・・・
 あちこち見てる分にはどうも『凹村戦争』は全般に好意的に受け入れられている様子。ぼくの感覚が外れてるのか。

 結局のところぼくのスタンスってのはと同根なのかもしれない。参ったね。

 つまりだ。松岡修造のことを「プッ」と笑うとか、あるいは「プッ」と笑う手間すらかけないとか、そういうのは良くないと思うんだよね。わかりる?

・・・
 特定の作品や作者への自らの評価自体を論理的に説明できるという自信があるから、ああも身内褒めとか平気なんだろうなあ、とは思いますね。ぼくは若輩者だから、こんなことを主張しても失笑を買うだけかもしれないが、これだけは言わせてもらう。そういう風にこの世界を捉えてる限り、本当の深淵は絶対に見えないぜ。

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 愚直な表現者が好きだ。

4月6日
 健康診断、定期、ガク割延長その他もろもろ細かい用事をたくさん済ませた。ものごとがたくさん進行するというのは気分が良い。

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 車窓から見える桜吹雪を穏やかな気分で眺めていた。冬の厳しくないここ東京で育ち、春を待ちわびるという習慣は身につかなかったけれど、やっぱりこの季節は格別の喜びがある。
 春。4月。新しい始まりの季節だ。

 初めて小学校へ行った年。教科書をもらった日、ぼくは家へ帰るなりそのすべてを読破し、「あんまりおもしろくないね」との感想を親にもらしたという。自分ではほとんど思い出せないくらいだけど、胸おどるような期待感があったことだけは覚えている。あんまりおもしろくなかったけどね、結局。

 そんなことを考えたりしてから、さてさて、オラフ・ステープルドンの『最後にして最初の人類』の続きでも読もうかとしたときだった。

「あんたさあ、まだ読み終わってなかったわけ? それ」
「わー、ちょっと待て。今出てくるな。君は今の話の流れにぜんっぜん関係ないから」

 ――続きでも読もうかとしてたときだった。突如として、陽気でゴキゲンでやかましい音楽が鳴り響いた。車両中の人が一斉に音の出所を振り返った。そう、そこにはパチスロ屋空間が出現していたのだ。

 3つボタンの黒いスーツをぴったりと身につけた有能新入社員といった感じのその男は、半開きの口もそのままに、拝むように携帯電話を目の前に捧げ持って、7のマークを3つ並べる遊びに興じているのだった。

 車内での通話はお控えください、とは言うけれど、車内でのスロットマシーンはお控えください、とは言われてないんだから、彼はたぶんそれでいいんだ。いいんだよね。

 次の駅について、彼は拝みポーズを崩さないまま、陽気な音楽とともに颯爽と降りていった。ちっ。転ければ面白かったのに。

4月7日
 ごめんなさい。

・・・
 オラフ・ステープルドン『最後にして最初の人類』(国書刊行会)いまさらながら読了。ほんとにちょびちょびしか読まなくて、ぜんぜん終わりませんでしたが、それは決してつまらなかったからではない。昨日は電車で読もうとしたようなこと書きましたけど、実際のところ気軽に読みたいような代物ではないので大事に読んでいたという感じです。

 読み終わった今こそ感慨を込めて言おう。読書が魂の飛翔のための手段であるとすれば、これほど驚くべき空の旅へと連れ出してくれた本には最近出会っていなかった。まさに、神話的。壮大な悲劇であり、また悲劇であると同時に、人類そして人間性への高らかな讃歌。

 作中で、人類史は交響曲にたとえられるけれども、この作品自体が圧倒的な交響曲のような美しさを持っている。ときには堕落し、何度も闇へと沈み、それでもあがきながら立ち上がる人間性という第一主題。運命付けられた滅びという第二主題。最後に、人類の勝利を祝う歓喜の歌が鳴り響くかと思いきや……。

 終章は涙が出ました。全人類必読の書、と言い張りたいくらいの圧倒的な名作。いまこうして翻訳されたことに本当に感謝したい。

 しかし、これほど偉大な幻視者であったステープルドンの想像の100万倍の速さで科学技術は進歩しているのだなあ。その驚くべき発展速度を改めて思うと、怖いような気にすらなる。


『スターメイカー』をまだ読んでいないぼくは幸運なのかもしれない。読まなければ。

・・・
 『CLANNAD』マスターアップ……。今まで妙に現実感を伴ってなかったということに気づいた。本当に出るんだ、ああ。

4月8日
 撤退して自由にするか撤退せずに殺すかの二択だ、ってなあ……。

 高遠氏の父親の肝っ玉の座り方はすごかった。「生きていてさえくれればとは思いますけど、天秤にかけるっていうのはどうもねえ。政府は撤退するなんて言うわけはないでしょうしなあ」とかなんとか、平然と、と言えるくらい落ち着いて語っておられた。

 知性体が知性体を破壊するという最低な過ちがなくなることを祈るけど、祈ってどうなるものでもない、人類はそういうふうに歴史を刻んでいく、と。

 信念なんてないほうがいいのかもしれないね。たぶん、そのほうが人に親切になれるから。それとも人と人がかかわり合うこと自体がいらない、とかね。あーあ。

・・・
 ドビュッシーがいかにワーグナーに傾倒していたといえども、ドビュッシーの作品は彼独特のものである。実際ワーグナーよりもよほど優れていると判断するファンだってたくさんいるだろう。
 トルストイはベートーヴェンやワーグナーをさっぱり理解せずにこき下ろしていたらしいけれど、そのことがトルストイの偉大さを損ねるわけではない。

 作家ってのはそんなものだろうと思う。思うけど、よりによって好きな作家が鈴木光司かよ……。

4月9日
 イラク。何がどうあれ、こういう場面で「自衛隊を撤退させろ」ってのだけは言っちゃいけないでしょうに。たとえ家族であってもね。本人たちは危険を承知で行ってるわけなのだから、彼らをテロリストの道具として役立ててしまうのは却って侮辱というものなんじゃないかなあ。

 自衛隊を撤退させろ、の人々とは逆に、人質になった彼らに対してやたら嫌悪や侮蔑をあらわにするような人々もいるみたい。

 ぼくは、自分のすぐ周りに存在する人間にしか思いやりが働かないような人間だ(しかも最近はどうも友達への思いやりすら消えかけているようだ。誰か助けて!)。だから、支援活動に身を投じるような人は自分とは異質な人間なのだろうと感じる。正直彼らとお友達になれるとは思わない。だけど、尊敬もしてますよ。自分には絶対できないことだけれど、あれはある種の人間性の顕れに違いないのだから。

 だから助かってほしいし、政府が救助に全力をあげるのは当然だと思うけれども、今回に限っては本人たちの判断が甘すぎた。家族の方々は、最悪の結果になっても受け入れる心の準備はしておかねばならないでしょう。相手の言い分を飲むなんてのはもってのほかなのだから。

・・・
「とかなんとか言いながら、今回のことで一番おれにとってショックだったのは、ニュースが延びたせいで『恋風』が10分遅れになってて、録画が途中で切れてたことでした。いちばん楽しみだった最後の予告劇場が見られなかったことでした。予告じゃないけどな。初回は主人公の懺悔に対して“すまき流しの刑”が宣告されただけだったし。あれとあとオープニングがいいよな。オープニングアニメはあれだけで泣けるくらいにツボ。作画はもう少しなんとかなるだろうと思うけど。
「とまあ、おれはこんなふうに、実の妹と恋に落ちるアニメが彼らの命より気にかかるくらいの糞人間です。原作いままで買ってなかったのでやっぱりそろえようかとか考えてます。これでいいかよ?」

「すまき流しの刑」

4月10日
 違うんです! ぼくはそんなんじゃないんです!

 そりゃ確かに、足を止めてしばらく注視してしまったかもしれないけど……でも! そういうことじゃないんです!


 ……児童公園の横を通りかかったのだ。児童公園らしく、児童がたくさん遊んでいた。春風がほほに優しい。ぼくはさわやかに微笑んで先を急ごうとした。

 そのとき。ふと気にかかる光景が視界の端に引っかかった。なんだ、今の。ゆっくりと振り返ってみる。

――

 オーケー、感情を可能な限り排して状況を描写しようじゃないか。そこにはブランコと呼ばれるごく一般的な遊具が備わっていた。小学校中学年から高学年と思しき児童2人が、その遊具を利用している。男子と女子がふたりで、一台のブランコに運動エネルギーを注入するという行動をとっているのだ。男子は座席部分に正規に定められた体勢で座っている。女子は、彼と向かい合い、膝をまたぐように座席の両端に足を置いてその上に立ち上がっていた。女子の服装について注記しておくが、上はピンク色のトレーナー、下はジーンズ素材のスカートだった。

――

 うわあ、だから、違うんです。そんな滅相もない。そりゃ自分にはこんな思い出ないよなあうらやましいやつだぜとかはすこしおもわなくはなかったけど、つまりそれはじぶんのおさないひをおもいだしてのことでいまのじぶんとしてうらやんでるとかではないしあああああああやめて! ぼくはそんな今はやりの危険人物とかじゃないんだよ!

「すまき流しの刑」

4月11日
 あっはっは。研究計画の欄「ドイツロマン派に見るメランコリーの水脈」とかって本気で書いちゃった。ネタ半分なんですけど。修了年度以外は論文も何もないし、建前上研究計画提出ってだけなんで。

 えー、三浦雅士『メランコリーの水脈』実は読了してない。研究計画に引用までしたんだからちゃんと読まなきゃね……。

4月12日
 まるきり初夏の日差しの中、サンバの音がやかましく鳴り響いて、お祭り騒ぎ。
 笑顔ばかり。
 歓迎のショスタコービチ。
 何かを一緒にやれていればそれでよかったのだろうにね。
 ともに行く人はいないよ。

・・・
 ネットで感想を漁っても、雑誌の書評を見ても、どうもこの感動を共有してくれている人はいないようだ。圧倒的な感動は、圧倒的な共感から生まれるものだと思う。圧倒的な共感とは、理屈を超えて作者の魂に触れたという感触を伴うものだ。だから、圧倒的な感動をおぼえたとき、ぼくは誰よりもその作品を理解したのだと思い込む。
 思い込みだろうがなんだろうがどうでもいい。そこには確かに何かに対する(もしかすると存在すらしない何かに対する?)共感が生まれたのだから。

『最後にして最初の人類』をまだひきずっている。誰かこの感動を共有してくれる人はいないのだろうか。

 どうでもいいが、このタイトルの訳は、たぶん間違っている。

4月13日
 久しぶりにふらりと某所を訪れたら、大変すばらしい文章を見つけた。風の谷の名無しさんには申し訳ないけれど、ちょっと無断転載。
おいらも灰羽でアニメにはまった。
lain、テクノ、ラストエグザイル、カウボーイビバップとみた。
ここまではよかったような気がする。その後アニメつながりで
できた友達に、あずまんが大王をすすめられ見てみる。大阪の
おっきい目をみているとなんだか不思議な心地よさがあることに
気づく。灰羽を見返してみた。ラッカのあたまのくせ毛や、
セーラー服もどきの衣装がなぜだか愛おしい。あずまんがを
すすめてきた友だちが、今度は「まほろまてぃっくは
超名作だよ」といってきた。とりあえず一巻をかりてきて、
観賞しながら、なんだか遠いところにきてしまったと思った
26歳独身無職のアニヲタ新生児です。
 なんというすばらしいショートショートだろう。主人公「おいら」が、悩みつつもさまざまな出会いを通して人間的に大きく成長していくさまが、この短い中に余すところなく表現されている!

 新年度にもかかわらず、どうも閉塞感が抜けない日常を送っていたぼくは、彼の文章に大いに勇気付けられた。そうなのだ。一歩踏み出したその先には、希望満ち光り輝く新世界への禍々しき落とし扉が足元にぽっかりと開いているかもしれないのだ。世界とはそういう、驚きに満ちた場所なのだ。

 この希望を胸に、ぼくは生きていこうと思う。

4月14日
増大する通信手段のおかげで、すべての人々が連絡をとりあえるようになった。地方の特異性なるものは、ラジオや映画や蓄音機を前に次第に消えていった。このようにも希望に満ちた兆に比べれば、改善された諸状況によって強化されてはいたが、人間の本質が以前に比べれば精神的には不安定なものになっていたことは、あっさりと見落とされた。ある種の破壊的な病が緩慢にではあるが、着実に広がりつつあった。とりわけ神経組織の病が、ますます蔓延し、いっそう悪質なものになっていった。
――オラフ・ステープルドン『スターメイカー』より

 これが1937年に書かれた文章。地球に良く似た「別地球」が滅びに向かうシーン。せめて政治指導者たちがステープルドンのごとき知性を持っていたなら。

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 ADHD児みたいな講師がいた。万歩計つけてたら、授業ひとコマで1万歩稼げるんじゃないかしらん。

4月15日
 ちょっとした幸せ。電車で出くわした中年男性が読んでいる文庫本が、デイヴィッド・ブリンの《知性化の嵐》第2部だった。どうせならほかに読むものあるだろう、とは思ったけどさ。

・・・
 小さな小さな違和感や不快が気づかぬうち、いくら磨いても落ちない歯垢みたいにこびりついていって、心の振動数がまっさらとは似てもにつかぬものになっていく。世界にうまく共振しない。叫ぶこともできないような苦痛。これはだめかもわからんね。

・・・
 とかいいつつ、今日は新たな出発でもあったわけで、展望が開けることに対して一縷の望みがないでもない。やるしかないんですよねー。不快の原因を整理しておこう。気にかけるべきことが、漠然としたままで大量に降りかかってくるからいかんのだ。気にかけるべきことを具体化して順序付けしておこう。

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