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もりげレビュー


  夏影 Date: 2002-04-19 (Fri) 
 田圃にのびた影法師。ひぐらしの声。小枝に引っかけて少し破けた虫取り網。はだしに履いた泥だらけの運動靴。家に帰れば、夕餉の支度もできていて。網戸と蚊遣りのお部屋で食べる冷や奴。宵の風が、遠い盆踊りの太鼓の音を運んでくる。家族そろった晩ご飯。――たとえば、そんな、ね。
 思い出。たぶん、いろいろごちゃまぜになって、不正確で、なのにエッジがはっきりした風景。ふとした拍子にそれが溢れてくると、それがあまりに大切であることに気づいて、ぼくは泣きたくなる。その感覚には、どんなに理性で抗っても勝つことができない。記憶の中の小さな無意味たちにこだわっている部分が、確かに自分の中にある。ぼくは、そいつをまるきりバカにしながら、そいつの頭の悪さに辟易しながら、どうも本当は嫌いじゃないらしい。
 ま、いずれにしろそんな部分なんだろうね。あの方のヴィジョンに共感するのは。
 帰りたい場所。でも叶わない願い。だからいま一歩を踏み出そう。忘れないけれど、でもそこに留まってはいられないから。――そんな紋切り型の切なさに酔っていたいだけなのかもしれないけど。

 何かの大切さを無条件で信じる、そのときの感覚すら信じてはならないのなら、ぼくは今すぐにでも死ぬと思う。生きるには信じる以外の方法はない。でも、大切なことなんてあんまりあっけなく壊れるものなので。全部無意味だと本当は思っているので。だから、ぼくは「一度信じた大切さを、死ぬまで憶えている」という物語を守るよう自分に強制してきたのだろう。それを守ることが、ぼくが生き続けるための唯一の方法だから。
 物語は美しい。世界を記述する方法としては最高だ。そうでしょう? 意味とか信じるとか祈りとか、そんなものが物語の中では力を持つんだからさ。ならばぼくは物語として生きるしかないじゃないか。そうすればあたかも「意味」があるように生きていられる。……宗教と同じだね。悲しいけど。


 ……先日ありがたい出来事があったので、関連してKEY作品について触れてみようかと思ったのですが。思っただけで書いてる内容は全然ちがうし。まあ新作『CLANNAD』についてもオフィシャルサイトの内容とコンプティークのインタビューくらいしか情報がないですし。いろいろ書くのは(まだ出るのは先でしょうが)そいつをやってからということで。所謂「感動系AVG」としてはKEY最後の作品になるんでしょうね……。麻枝氏も「これを完成させれば思い残すところはない」とおっしゃってますし(考えてみりゃここまで思い入れたっぷりにエロゲー作るってのも凄いことだよな)。
 新学期はじまりまして疲労中。間隔あいちゃうかもしれませんが、ブックレビューかなんかまた書きます予定です。なんか文章ヘンだぞ? まあいいや。

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