ありえないような乱入騒動がなければ金メダルの可能性は高かったと思われるリマが、ああして大喜びで3位でゴールできるというのは、きっと何かの信仰心のなせるわざなんだろうなあ。人類が種として成功するためには、宗教の存続は欠かせないのかもしれない、とか思ったりするのはこんなとき。
たとえばの話だ。今まで生きてくる中でお世話になった特定の人たちがどろどろな騒動に巻き込まれて、後ろ指を差されるような状況に陥ったとする。お世話になったと言ったって、それは事実上お世話になったというだけで人間としての友人関係にあったというわけではないのだった。それに、後ろ指を差される責任はたぶん本人たちにあるのだと思っている。
で、どうする? お世話になったことも忘れて自分の歴史から抹消するのか。世間から見れば「抹消したがる」方がより正しい態度として映るかもしれないのだ。そして、そういう世間から見られて生きていかねばならないのだ。
「それでも、関係ない。わたしがお世話になったそのことが、わたしにとっての本当。その恩は忘れたくないよ……」
それが、ぼくが好きな物語のヒロイン像だ。そういうヒロインのように人は生きられれば良いと思う。
だけどね、実際は、「お世話になった」時点でそういう生き方は現実世界の住人には無理なんだ。「お世話になる」ことにしたとき、もう自分を利するための方策としてそのお世話を用いてるんで、つまりそれが自分を損なうことになりそうなとき、「抹消したい」と思わざるをえないわけなのだろう。
あくまで想像だけど、ね。
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