あちこちの酷評には目を見張るものがあるのだが、今日の毎日新聞のレビューには噴いた。
まずは冒頭から、画面に漂うそこはかとない安っぽさに驚く。そして次に衝撃を受けるのは、若手俳優たちが薄っぺらい声で棒読みするセリフのむなしさ。演技指導をする時間がなかったのだろうか、とすら思わせる状態のまま物語は進行していく。
そこはかとない安っぽさに驚くらしい。セリフのむなしさに衝撃を受けるらしい。ほかにも、「あの名作が、と思うと腹立たしいだけでは収まるまい」とか書いてる方もおられる。
そこまで言われると、逆に興味もわこうというものだ。しかし、逆に興味がわいてしまうような物好きは世間にそう多くないだろうし、その中でも観に行く気概のある人間はさらに少ないだろう。
もちろん私は行きませんよ? 人が酷評するのを見てるほうが楽しいですから。
電車の中、『SF雑誌の歴史』を読んでいた。すると、右隣の恰幅のよい老紳士が突然話しかけてきたのだ。何を言われたか、咄嗟のことなのでわからなかった。
「アスタウンディングの40年10月号なら、持っとるよ」
いや、違う。いくらなんでもそんなことを言うわけはない。ではなんだというのだ。
「はい?」
「いや、そんな小さな字の本が読めていいね」
そっか。老眼で本を読むのもままならない、というわけなのだった。その老人の笑顔と、深みのある声はどうにも安心感を誘うもので、ついついこちらの返答もなめらかになってしまう。人徳というものなのだろうな。
「あはは、そうですね。大変ですよね。うちの親も、さいきんメガネがないと新聞が読めなくなったと言って嘆いてます」
「そうだろうね。うん、年をとるとね、目が悪くなるからね、読めるうちにたくさん読んで覚えておくといい。そうしておけば記憶はちゃんと残るからね」
どうも、記憶力のほうにはかなり自信があるようなのだった。残念ながらぼくは読んだ先からぜんぶ忘れる自分の特技にはいい加減ウンザリしてるところなんだけど、読めるうちに読んでおきたい、というのは確かにそうだ。
「はい。そうしたいですね。ぼくなんか近視も強いですから、老眼になったら近くも遠くも見えなくなってきっと大変です……」
「そんなことない、あなたの年齢なら大丈夫ですよ。これから科学が発展するからね、きっとびっくりするような治療法なんかも出来てくるよ。わたしなんかはもう先も長くないから間に合わないですがね」
老人の口から出たそんな言葉に、不覚にも感銘を受けてしまう。こうして、自分のいなくなった先の未来を、健全な科学技術の夢に託すことができるのだ。科学が未来を作っていくのだ。
でも、ぼくの目は本当に治せるだろうか? わからない。
「そうですかね……」
そのあともしばらく話をした。昭和14年兵だ、なんて話も聞いた。
見知らぬ人とこんなに会話するなんて滅多にありえない。まず、こっちから話しかけることはゼロだし。怖いし。
彼はなぜぼくに話しかけたんだろう? 無視されたりすれば、厭な気分が残るだけだというのに。それでも結局、ぼくは返事をして、ふたりは会話したのだ。科学が残す未来について。
ちょっと心が温まり、世の中がいつもこうだといいな、などと思った。
mail:gerimo@hotmail.com
富永愛の隠れファンで、漫画を読んだ当時、衝撃を受けた記憶があったので、駅に張られたデビルマンのポスターなどを見て、ひそかに楽しみにしていた物好きですが・・・上の記事を見て、好奇心指数ダウンです(笑)
良いという意見はひとつたりとも見かけないので、まっとうな原作ファンは、観ないほうが身体によさそうです。こういう記事を読んだあとに、「完全映画化」とか書いてある新聞の予告を目にすると悲しくなりますね。
ご老人とのエピソード、とっても素敵でした。<br>なんだかふぉわんとしてしまったので、<br>衝動的にコメントに書き込んでしまいました。
デビルマン、私は原作ファンでポスターをみて見る気がなくなっている人間の一人ですが<br>ダニグチリウイチさんが、「伝わってくるメッセージはまさしく「デビルマン」だった。」と絶賛なさっているのを見て、どうしようかなと迷ってます
>石川ヒロオさん<br>ありがとうございます。私もあのときまさに「なんだかふぉわん」という感じだったので、そんなふうに読んでいただけるとは感激です。<br><br>>モりやまさん<br>原作の意図を汲み取ってマジメに作ろうという意志はある、ということなんでしょうか……。CGなんかはなかなか迫力があるという話なので見届けられてはいかがでしょう(あまりに無責任な発言ですね)。良い作品をものにするというのは、大変なことなんだなあ、と感じます。