エコーというのは、ドイツ語ではエヒョーと発音するので、ついつい与兵のことを思い出す。与兵ってのは、夕鶴の主人公の名前ですね。
昔、異類婚姻譚の主人公になる夢を見たことがある。別に某ゲームシナリオに影響されたわけじゃなかったと思う。異類だろうがなんだろうが、とりあえず運命的な相手がいることに幸せを感じたまま目覚めて、余韻が失せてくると一転、そんな夢を見ざるを得なかった自分に涙がぽとりと落ちそうだった。今となっては笑い話である。今とならなくても笑い話である。
海外に行った友人は、「君は日本人だからだろう、ヨーロッパの人間と違って、寂しさや足りなさといった悲しみが心の核を占めているように思える」と言われたそうだ。
日本人特有なのかどうだかはわからないが、そんな足りなさを埋めることができなかった与兵は、結局、つうと幸せに暮らすことができなかったわけである。結論としては、人間と鶴が分かり合うのは存外むずかしい、ということが言えるだろう。
それはそれとして、物語の空想に耽ったなら、足りなさが埋まった感覚だけは味わえるものだ。享受できる優れた物語が山のようにあふれている現代社会は、まったく親切なものである。
そのおかげで本当に足りない何かを求める努力というものが消え失せている気もしないでもないけれど。
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