作者とその作品は関係あるのか、というのは案外むずかしい問題。
たとえば「この曲は作曲家が失恋したときに書いたもので」みたいな知識があると作品の理解が深まるということも確かにあるのだが。
あるいは、詩やなんかを読んだとき、自分は確かに作者の心に共感した! と思い込むことも多々あるのだが。
それでもなんというか、作品は作者の手なんかとっくに離れているんだ、という気がしてならない。
作者の人格がいかに破綻してようが作品が凄ければそれでいいのだし。
あるいは、失恋しただけで「自分は世界で一番不幸だ」と思い込んだ人の作品からは、死にたくなるほどの絶望がひしひしと感じられたりするかもしれない。それも別に悪くない。
思い込んだもの勝ちってことですかね。発する側も、受ける側も。
「俺はすごいんだぜ」
「おまえはすごいぜ」
まあ、それが成り立てば別に言うことなし。
で、願わくは、受け手に供給する中継の人たちも、「こいつはすごいんだぜ」という思い込みで動いてくれますように。
だからさ、資本主義経済ってのがすべての人心の荒廃の原因なんですってば。ナノテクを発展させて、なんでも無料で作り出せる世の中にすれば、こういう悪しき体制は終わらせられるよきっと。
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