ゼミに遅れて行ったので、真面目に発表を聞いて出席を確実なものにしようとした。
記号論をかじって得意になってます系の研究内容を滔滔と聞かされた。泣きたくなった。
まあ、援用の仕方へのツッコミはこの際どうでもいいんだ。
何よりも気持ち悪かったのは、演奏活動を記号として語ってる本人が、演奏の専門家であった点。
よくわからないけど、いちおう芸術と呼ばれるような表現活動に自ら携わっている人間が、自分のやっていることを嬉々として記号で説明するのは、まずいことなんではないのか?
いや、まずいまずくないは別にして、そういう風潮があるのは承知してる。してるんだけど、そうじゃなくてこう、心が先に立って動くものなのではないか。そういうどうしようもないようなエネルギーが内にあるはずで。
そうじゃないんだったら何のためにあなたは表現に手を染めているのか、と。
客のコードを研究して、それに合わせた表現を論理的に構築する、ってあーた。そもそもこの分野においてはそれは不可能事だし、自分の表現そのものを消費社会の奴隷にして、それで何がしたいのやら。金儲け? 傭兵やったほうが100倍は儲かるみたいですよ?
バカだろうがアホだろうが暑苦しかろうが構わないんで、何かの通じ合う奇跡をどこかで信じているのが、務めなんじゃないかと思う。かなり本気で。
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