トップ «前の日記(2006年10月19日(木)) 最新 次の日記(2006年10月23日(月))» 編集

もりげのどうかと思うような日記

過去の日記
feed:RSS/atom

2006年10月22日(日) 冷たい雨がふった

情けない救い

だからこういうところで自分語りみたいなのするのやめろよなあ、俺。という良心の抵抗むなしく。

自らが若輩であるという感覚と、既に歳をとり過ぎたという感覚は、問題なく同居できるものだ。要するに若輩ってのは人間としてとかそういう問題じゃなく、知性体として、なのでは。あるいはそれが言いすぎなら、何か(他者?)と相互作用する主体として。

いい加減、自分がどうあがいたって届かない領域が存在することに気づいてはいるが、しかしそれは実のところどんな天才にとってもそうなんじゃないのか、と考えるなら当然のごとく答えは是。そこで安心を感じているようではもう駄目なんだろう。

それでも、自分で納得いくということだけがすべてじゃなかろう。そう思うことだってある。そんな救いにすがっといて、それは自分に何かを目指しているつもりがあるからこその救いだ、なんて割り切り方をしてしまうのは敗北である気はするが、すがらずにはいられないのが私であった。

ここで出す例が出す例になってしまうが、田中ロミオが最近になって自身の過去作(『家族計画』あたりまで)をあっさり「作りたくもないものを作らされた」みたいな切り捨て方をしているのは、見習うべき態度かどうか、とか。『最果てのイマ』以外にはほとんど価値を感じなかった私にとって、個人的に彼の株を上げる結果につながる発言ではあったのだが、まあそれは置いといて。彼自身の思惑は別にして、彼は確かに、自らの能力によってあれだけの世間の評価を勝ち取ったんである。

自分の中の何かをきちんと了解した上でこそ誰かが喜んでいるのだ、と考えるか否かは本人の胸先三寸であって、その胸先が本人の臆病によって操作されているかどうかなんて本人にだってわからない。私はそれでも貫けるだろうか。救いにすがって安心を得ているような私に。

[]

  1. もりげ (04-13)
  2. トリガラ (04-13)
  3. V林田 (04-12)


mail:gerimo@hotmail.com