化学物質過敏症の妻の自殺を止めることができなかった夫の話をテレビでやってたんでぼっと見てたのだけど、辛いですね。印象的だったのが、過敏症の人を特に援助してる医者(だったと思う)が言ってたことば。34人(だったかな)の患者が集まったところで「死にたいと思ったことある人」ときいたところ、全員が手を挙げたんだという。心中しようと子どもの首に手をかけた経験のある人すら複数いたと。「みんな死にたいと思ってますよ」、とあまりに淡々と言い切ったその口調にかえって凄惨さを感じた。
それで麻枝准氏の日記を思い浮かべたりしてるのは信者ならではの思考の流れですが。どこか霧につつまれたような諦念が文章の端々からにじんでいるようで、彼の書く詩やなんかの痛みの源泉に触れている気分で読んだんでした。
安穏として恵まれた生活を送ってる人間がいくら共感を働かせたところでわからないものはあるのだと思う。自分はメランコリー親和性の気質だと思うけど、ありがたいことにいまだに病院に行ったり薬を飲んだりしたことはないですし。
しかし、それをありがたいと感じると同時に、安穏と平和な暮らしを送っている人間には、何かすさまじい力を持ったモノを創作するというのは難しいのかもしれないな、と思って悔しかったりもするのです。それでも、創られたモノに共感することはできるはずだと思いたい。そうでなければ、他人のつくった音楽を奏でるということさえできないということになってしまうので。
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