まだ入居を受け付けていないはずの巨大集合住宅。人はいなくても、夜になると渡り廊下なんかにたくさんの明かりを灯す。未知との遭遇かと思うくらいに、建物ぜんたいがシャンデリアみたいに光る。
「電気代もったいないね。誰が払ってるんだろ」
……黙ってろ。
建てられたばっかりのいまは、ともかくきれいだ。空を背景に描かれたその輪郭まで、そこだけ高画質紙に印刷されたみたいに目立っている気がする。
あのきれいさというのは、どれだけのあいだ保つのだろう。いつも思うのが、たとえば新しいフライパンを使い始めて、初日に洗ったときは、元通りにきれいになったような気がする。たぶん次の日も。ところが、いつのまにか、洗っても洗っても油が浮くようになって、黒ずんできて、当初のきれいな姿は記憶の中に残るのみ。洗っても元通りにならなくなる境界線みたいなものが、どこかにあるのだ。
たとえを変えよう。部屋の掃除をして、机の上も片付ける。そして、机の上に物を置いても、寝る前に必ずどこかに片付けよう、と決める。初日は机の上には何もない。たぶん次の日も。ところが、いつのまにか、机の上は山のように本やら何かの冊子やら書類やらが積み上がり、その上に埃がうっすらとかぶさって、もう手を触れる気にもなれなくなる。
「それ、例えがぜんぜんさっきの話と関係ないと思うけど」
「そうかな? おんなじに見えるぞ」
ともかくまあ、エントロピーは増大するんだ。あのきれいな新築も、いつか混沌の力に飲み込まれるんだ。
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こんにちは.初つっこみです.不思議ですね.いつから綺麗じゃなくなるんだろう.<br>数学には帰納法というのがあって,1本も髪の毛がない人はハゲ,髪の毛がn本の人が<br>ハゲならn+1本の人もハゲ,ということから「全ての人はハゲ」という結論が導かれます.<br>なんだかその話を思い出しました.ハゲと非ハゲの境界線も微妙ってことです
なんだか人間の脳みそはけっこうファジーにものごとを切り分けて名づけているような気がしますね。<br>ハゲと非ハゲ、きれいと汚い、などというのも、そのファジーな切り分けの中で生まれているだけ、というような感じなのでしょうか。厳密にはフライパンなんて一回使えばいくつかの「汚れ分子」が付着して取れないままになってるはずですよね……。