なぜか単行本で読んでいなかった藤崎慎吾『螢女』の文庫版を読んだりしました。この話のタネ部分の設定については耳にしてたのだけど。
この単行本が出る半年以上前、KEYのゲーム群にものすごい影響されて、いろいろとエロゲーっぽいシナリオをひとり妄想していた頃、かなり類似した設定の妄想を抱いていたものでした。まあ、蛍の姿をまとって女が現れる、というこの作品のコアとなるイメージはもちろんまったく思い浮かびませんでしたが。それに、変形菌や森の木々の電位の話をうまいこと使うあたりはさすがにうますぎる、という感じで読みました。
ぼくが妄想してたのは、地下生物圏のネットワークに端を発した知性と、そこに取り込まれたひとりの少女、というような話。具体的なシナリオなんて考えられるわけもなく、ただこういう仕掛けを使えばSFっぽくてしかも郷愁を誘う感動モノとかできそうだなあ、という程度の空想にすぎなかったんですが。
しかし、こうして具体的に説明をつけて小説にされてみると、森――というより山自体が脳となって記憶を蓄える、というのはものすごく美しい仕掛け。その仕掛けと、幼いころ仲のよかった少女の記憶を絡めたというそれだけで、この小説は勝ったも同然……だったはずなのですが。
いかんせんこの仕掛けの見事なイメージの力が強すぎて、もっともっとすごい作品になれたはずだ、みたいな印象がどうしてもぬぐえないのでした。圧倒的な感動は訪れなかった。
考えてみると、生物のネットワークがつむぐ記憶、というのはすなわち「惑星の記憶」そのもの。その深い海に取り込まれた個々の人間の記憶も、遠い日の絆に惹かれてたまに泡のようにぽかりと浮かび上がってきたりすることもある。
……ああ、これってあれだ。AIRの翼人の羽の働きを極めてSFっぽく裏づけしたら、こういう姿なんじゃないか。
AIRが、翼人という存在はそのネットワーク精神の顕現だったのだ、みたいな話になっていたら、たぶんぼくの中ではもはや神とあがめるしかないような作品になっていたに違いない。
確かな科学設定と、暴走するほどの心の叫び(と、無垢なる少女の懐かしい記憶)の融合を……!
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