さいきん亡くなったピアニストの園田高弘と、哲学者のデリダ、それぞれの追悼記事が新聞にあったので読んでいたのだけど、やはりというかなんというか全然ちがいますね、記事の色が。いろいろ考えてしまった。
デリダの追悼記事、手元にないいま思い出そうとしてもまるきり思い出せない。なんか意味のあること書いてあったっけ。たしか「あれだけ丈夫な人が死んだなんて信じられないが、確かに死んだのだ。彼は死んだがしかし、彼の言説は彼の死後に読まれることを想定して書かれたものだから別に死んだからって問題はない」みたいな内容(最後の結論はちょっと違うかも)を、持って回った口調で語ったものだったかしらん。
うーむ。なんにしろ、追悼記事が出るほどの人生を送れた人間は勝ち組ということです。
追悼記事ではなく、事件記事になってる集団練炭自殺なんてのもありました。集団で死ぬ人たちって、死を共にできるほど信頼しあえる仲間を見つけてるのに、なんだか勿体無いなあとか思うのは的外れなんでしょう。ぼくには実際に命を絶つほどの気概はさっぱりないので、正直、彼らの思考はまるで理解できてないのだろうと思います。
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集団自殺のNEWSで、自殺の心理研究の臨床心理士がテレビに出てましたけど、「人数が多ければ多いほど、死ぬのを止めようという、‘言い出しっぺ'にはなれないんですよ(ニヤリ)」と、コメント時に何度かニヤリ、としていた(しかも言い出しっぺって・・)のを見て、やっぱりこういう研究してる人って、色々大変そうだなぁと考えてしまいました。
死のうと言い出した人は途中でほんとはいやになってるんだけど、言い出した以上やめようとも言えず、周りはみんな本気でやる気になってるし結局いきつくところまで行ってしまった、みたいなこともあるんでしょうかね。悲しいお話です。しかし、言いだしっぺになれないんですよ、って、みんな死んでるのになんでわかるんでしょう。