グレッグ・イーガン『万物理論』読了。やっぱりイーガン最高! もうそうとしか言いようがない。どうか皆さん、文庫1冊で1260円――まあ、普通なら2冊ぶんの厚さですが――という価格の前でためらったりせずに、必ず読んでください。
舞台は2055年。アインシュタイン没後100周年記念の物理学国際会議において、TOE(万物理論)――すべての自然法則の根底にある方程式――がついに発表されようとしていた。
映像ジャーナリスト、アンドルーは、ちょうどそのころ流行を始めていた奇病「ディストレス」の取材を命じられる。しかし、彼はその仕事を引き受ける気になれなかった。「フランケンサイエンス」などと蔑視される類のバイオテクノロジー関係の取材に倦んでいて、病気に関する番組などというものから離れたかったのだ。そこで彼は、気分転換になるだろうと軽い気持ちで、アインシュタイン周年記念会議の取材をすることにしたのだが、雲行きが怪しくなっていく……。
国際会議が開かれる舞台となる島は、違法に遺伝子情報を持ち出された工学産バクテリアによって成長する人工島で、その違法性のために複雑な立場にある。島を政治的に抹殺しようとたくらむ者たち、TOEの発表を阻止しようとする「無知カルト」、さらにはその目的すらわからない謎の組織までが暗躍し、アンドルーは否応なしにその渦中へと巻き込まれてゆく。
謎の組織の恐るべき目的、奇病ディストレス、そして万物理論そのものが次第に絡み合い、宇宙の秘密についての驚くべきヴィジョンを展開することになる。
第一部はまるきり万物理論が登場せず、アンドルーの取材した「フランケンサイエンス」の実例とともに未来社会の有様を描き出すことを中心にしている。10年前に書かれたとは思えないほど説得力に満ちた描写で、これだけでも驚嘆に値する。
まるで教養小説であるかのように、科学的・哲学的な議論がいくつも交わされたりするのだが、これがまた鋭い。われわれが普段、あえて思考を停止し、目をそらしているようなクリティカルな部分にずばりと切り込んでくる痛さ。
特に、完全な自閉症になることを望む部分自閉症患者のことばなど、一見とうてい理解できない主張のように見えるが、その奥には実に深い洞察を秘めていて、胸に迫る。人間性とは一体なんなのか。愛とは。生きるとは。その他、「汎性」「転男性・転女性」「微化男性・微化女性」などの造語とともに複雑なジェンダーのあり方も描かれ、アイデンティティーに関するさまざまな現実的問題も提起される。
そして、それらの万物理論とは無関係に見えた哲学的な問いも含め、すべてに対するひとつの回答として最後のヴィジョンが示されるのだから、これは物凄いことである。圧倒的な感動がそこにはある。最大級のSF的感動だ。
これは『宇宙消失』、『順列都市』とあわせて「主観的宇宙論モノ」なのだそうですが、小説としては明らかにこの『万物理論』が最高の出来だと思います。
当代最高のハードSFにして哲学書、そしてすばらしいエンターテインメント。必読!
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従来のイーガン作品の中では最もメッセージ性が強いように思いますが、それだけに強引過ぎる印象を受けました。「宗教も神秘主義も愛の幻想も民族アイデンティティーも脱却すべきだ。人間の精神はそんなものに頼らなくてもニヒリズムに陥ったりしない」と言いたいのはわかるのですが、私にはその合理精神と人間宇宙論の同居がどうも納得できず、結末のハッピーエンドが強引なものに思えてしまったのです。「テクノ解放主義」ぐらいは私にも理解できるのですが。